冤罪関係著作「尋問の罠」、「冤罪 女たちのたたかい」

冤罪関係の本を読んでいると、日本の司法、裁判制度の醜さが浮き彫りになり、頭に来ます。
「尋問の罠ー足利事件の真実」は、冤罪被害者本人である菅家利和さんと主任弁護士の佐藤博史さんの共著。主には佐藤弁護士が事件の経過や警察、検察、裁判官のだらしなさを思う存分に書き連ねています。
足利事件は、確たる証拠として科警研の当時のずさんなDNA鑑定のみを有力証拠として、あとの物証等を何ら顧みることなく菅家さんを犯人に仕立て上げた経緯をわかりやすく検証しています。
「冤罪 女たちのたたかい」はまだ途中ですが、最初の「徳島ラジオ商殺人事件」を読んだ感想ですが、外部犯行説が有力証拠がありながら、犯人がなかなか捕まらないことから、同居する内縁の妻である冨士茂子さんを検察が犯人にでっち上げ、再審請求も5回まで却下してきた検察、裁判官への怒りを描いています。
性懲りもなく、冤罪をでっちあげても何ら罪の意識のない警察と検察、そして検察の言うことは100%正しいと信じ込んで判決を何の心の痛みを感じずに言い渡す裁判官。罪が晴れても、でっち上げた方は誰も責任を取らない無責任さ。私も行政裁判にかかわっているのですが、行政のやっていることに何ら疑問を挟まない裁判官のなんと多いことか。これでは裁判官なんて誰でもできる仕事と思ってしまいます。結局は、警察を含めた司法関係者は三位一体の関係で、「なあなあでうまくやりましょう」の関係が見え見えの有罪ありきの裁判を茶番でやっているにすぎません。対行政に対しては、森友事件で大阪地検が不起訴にしたことも含めて、政権には逆らえないという態度が見え見えの結論ありきの結果。
文科省前川喜平さんが政権の悪口を言うがために、文科省の局長級の方が芋づる式に些細な収あい容疑で捕まるなど、いつ容疑者になるかわからない時代。そんな今の日本で、まともな裁判が受けられるのか?本当にぞくっとする冤罪事件です。
さて、両事件で感じたのは再審が極めて困難であることです。足利事件にあっては、佐藤弁護士と西牧糸子さんとの出会いがなければ、おそらく冤罪は晴れていなかったでしょう。特に西巻さんは普通の主婦。そんな方が、この裁判はおかしい、菅家さんは無罪のはずと長い間支援してくれたことは奇跡に近い出来事。
一方、徳島の事件では、9歳の娘さんが犯人を目撃していたにもかかわらず、幼いことを理由に証拠採用せず、従業員であった2名の少年(16歳)に嘘の証言をさせて証拠としたがために、冤罪が出来上がったのですが、その2名の少年と9歳の娘さんの将来にも暗い影を残したことがうかがえます。特に娘さんは東京に出て早稲田大学に入学し一流企業に入社し、結婚したものの離婚し40代でなくなるという不幸な生涯を送ったとのこと。冤罪を晴らすことも困難ですが、冤罪を作ったがために関係者が不幸になっているのです。
冤罪を作り上げた警察、検察、裁判官はそれなりの制裁を受けているのか否か?まさか昇進しているなんて言うことがないことを願うばかりです。
今日はこの辺で。