菅野良司「冤罪の戦後史」

作者の菅野氏は、読売新聞の社会部畑を中心に歩んだジャーナリストで、狭山事件を中心に冤罪事件に取り組んでいる方。その菅野氏が、戦後に発生した冤罪事件を17件取り上げ、冤罪事件が発生するメカニズムを、刑事司法のいい加減さをこれでもかこれでもかと取り上げ、怒りを込めて書いた著作「援護の冤罪事件 刑事裁判の原風景を歩く」を、興味深く読ませていただきました。

一言で言うと、警察も検察も裁判所も、自分たちさえ傷つかなければいい、たとえ冤罪であっても自分たちには責任がない、という無責任な証拠調べで冤罪を作り上げ、たとえ雪冤となっても、決して自分たちの間違いを認めようとしないお役所的態度が改まらない限り、冤罪は無くならないことを示唆しているとも言えます。

取り上げられた事件を追っていきましょう。

  • 帝銀事件:1948年、帝国銀行椎名町支店で発生した毒殺事件だが、物証がない中、自白のみにより死刑判決を受けた平沢定通さん。現場の状況と自白調書の不整合を見れば、おのずと冤罪であることが分かる。
  • 免田事件:1948年発生、死刑確定判決から再審によって無罪が証明された初めての事例。直截な物的証拠もなく、過酷な拷問によりつくられた自白調書で死刑判決。最新ではアリバイが認められ無罪生還。アリバイをしっかり調査していたら、一審無罪だったはず。警察・検察、そして裁判所の犯罪的行為。免田さんが再審請求していなかったら、あるいは再審の協力者がいなかったら、国家による殺人が行われたことを思うと、刑事司法の罪はとてつもなく大きい。
  • 三鷹事件:1949年発生。戦後間もない時期の事件で、アメリカが実質的に占領していた時代。三鷹駅で列車車両が暴走して死者を出した事件で、単独犯として死刑が確定し、再審中に獄死した竹内さん。最新裁判は今なお続く。松川事件と並ぶ、国鉄二大冤罪事件で、アリバイと物証を調べていれば無罪となったはず。アメリカが司法を支配していた時代の共産党が標的になったが、司法がしっかりしていれば防げたのは言うまでもない。
  • 二俣事件:1950年に発生した一家4人殺害事件。これもまた自白偏重で警察がストーリーを描いた事件。自白偏重ながら、珍しく最高裁が死刑判決を破棄・差し戻しで逆転無罪。この事件では、正義感あふれる山崎巡査が真犯人はほかにいると、無罪を訴えるが、逆に狂人扱いされ免職(鑑定人医師の診断はおそらく警察に協力した結果)。組織を守らんがためには何でもするという恐ろしさが垣間見える。なお、静岡県では1950年代の数多くの冤罪事件が発生し、そこには紅林警部補というとんでもない刑事が君臨し、英雄気取りで犯人をでっちあげていたという事実もあった。
  • 砂川事件:1957年、米軍立川基地拡張反対運動の中で、米軍基地内に数メートル侵入したという理由で逮捕起訴された反戦運動家。一審は有名な伊達判決で、米軍そのものが憲法9条違反という画期的判決で無罪とされたが、高裁・最高裁憲法判断せず、罰金刑確定。砂川判決は安倍政権下の安保法制でも政権に有利な判決として取り上げられたが、問題は当時の田中耕太郎最高裁長官がアメリカの駐日大使とひそかに裁判について情報交換していた事実。すでに有罪判決決定をささやいていた事実が判明したこと。しかし、今の司法では再審無罪は難しい。
  • 名張ぶどう酒事件:1961年発生の毒ぶどう酒による殺人事件。犯人とされたのは、妻と愛人が同じ寄り合いに参加していた相手の男性の奥西さん。一審は証拠不十分で無罪となったが、高裁では逆転有罪、上告審は何も調べずに上告棄却。地裁は「疑わしきは被告人の利益」を実践したが、日本の司法制度は一審無罪でも検察が控訴することを許している。地裁が実質的に最も審査しているのであるから、検察の公訴権は認めないような制度ができないものか。この事件では、ご本人がすでに死亡しているものの、毒物自体が画定審の毒とは違っていたことが分かったので、早急な最新が申し渡されるべきである。
  • 狭山事件:1963年に発生した誘拐・殺人事件。嘘に塗り固められた自白調書によって無期懲役とされた事件だが、ストーリーを決めたらまっしぐらで道を変更しようとしない刑事司法の典型。すでに石川さんは出獄しているが、今の刑事司法に再審無罪を言い渡す正義と勇気があるか。凶器とされた手ぬぐいの証拠は万全なのだが。
  • 清水事件(袴田事件):1966年発生の殺人・放火事件で、一度は再審判決が出たが、検察は控訴して高裁が取消。なんと理不尽な行為か。取消ならば再度刑務所に収監すればいいものが、裁判所はそれもできない。ほとんどの刑事司法関係者も、証拠が捏造されていることを認めていることが垣間見える。それでも高裁は再審取消せねばならない何か事情があるのか。関係者が亡くなるのを待っているとしか思えない。これも最高裁からの暗黙の、否、直接の指示があるのかもしれない。
  • 布川事件:1967年発生の殺人事件で、二人に方が犯人にされ収監し、刑期を終えているが、再審でようやく無罪を勝ち取った事件。これこそいい加減な目撃証言を重視したがためのでっち上げの典型。目撃証言程いい加減な証拠はないが、何十メートルも離れたところからの目撃証言など、ほとんど意味がないにもかかわらず、検察・裁判所は信用できるとした。現場を見ていない検察・判事ほど怖いものはない。彼らは冤罪をつくっても、何ら責任を取ることがないのだから。雪冤を晴らした桜井昌司さんは、国賠訴訟に訴え、昨年2021年9月に7,400万円の賠償を勝ち取った。高裁判決では、警察の取調が違法かつ検察も虚偽の事実を述べていたと認定した珍しいケース。国賠訴訟については、再審無罪を勝ち取った人でもなかなか勝訴できないのが普通。どんないい加減な捜査や取り調べをして起訴したとしても、警察・検察は同じ司法家族の一員ということで、裁判所は違法とは認めない。なぜなら自分たちも、それを見破れずに有罪判決をしているからである。いくら忙しいと言っても、裁判官は最後の砦なので、証拠はきちんと見て触って、聞いてほしいものである。それがあなたたちの仕事でしょうと言いたい。
  • 市原事件:1974年に発生した事件で、摩訶不思議な要素がある。両親が行方不明となり、のちに死体が発見され、息子さんが犯人とされ逮捕。後半途中から犯行を否認し、その証拠も出てくる。この事件も物的証拠はなく、自白のみが逮捕理由である。父親が殺害された時間と母親の殺害された時間が異なっており、その第三者の証言もあることから、正に「疑わしき被告人の利益」の適用が妥当か。
  • 大崎事件:1979年、鹿児島県の大隅半島の農村地帯で起きた殺人・死体遺棄事件。冤罪を訴えているのは長男の嫁で、10年の刑を終えて出所しているが、鹿児島県警お得意の強烈な取り調べにも屈せず、一度も自白せずに有罪となった。兄弟の四男が牛小屋で遺体で発見され、長男の嫁さんが旦那さんの供述で首班となってしまった事件。共犯とされたきょうだいがいずれも知能が低く、警察に誘導されたのではないかとの疑惑が大きい。実際は酒を飲んで側溝に自転車ともども転落した際のショックが原因で亡くなり、兄弟たちが遺棄しただけというのが真相と思われるが、その共犯者がすべてなくなっている(二人は自殺)。驚くべきは、地裁・高裁で再審を認めたにもかかわらず、最高裁がそれを差し戻した点。それも小法廷の全員一致意見とは何とも嘆かわしい。お嫁さんの原口アヤ子さんの命もわずかで、時間との闘いである。
  • 日野町事件:1984年、滋賀県日野町女性酒店店主が殺害された事件。立ち飲みの常連でもあった阪原さんが容疑者となるがアリバイがあった。しかし、強引な取り調べと誘導で自白。無期懲役が確定するが、阪原さんは再審を訴えるが、病死。遺族が再審を受け継ぎ、金庫の隠し場所を特定させる引き当たり調査に誘導があったことが判明。これもまた自白偏重のいい加減な捜査と裁判の犠牲となった。
  • 福井女子中学生事件:1986年、福井県で発生した女子中学生が自宅で殺害された事件。犯人とされた前川さんにはアリバイがあり、捜査対象から外れたが、その後、伝聞情報で浮かび上がり、強引に容疑者とされる。前川さんは一貫して無罪を主張し、一審福井地裁は正義に基づき無罪判決とするが、高裁は7年の懲役刑で確定。刑期満了で出所するがその後再審請求。この事件は典型的な警察の悪質な司法取引のような、暴力団員の証言が証拠となり、それを高裁・最高裁は認めてしまうところに大きな穴がある。最新は未だ認められていない。
  • 足利事件:1990年、栃木県足利市で発生した幼女殺害事件。足利市や隣の群馬県太田市では、幼女の殺害事件が頻発していたが、犯人は捕まっていなかった。この事件とされたのは幼稚園の運転手をしていた菅谷さんだが、全く身に覚えのない事件の容疑者として突然に逮捕。決定的証拠としてDNA鑑定があったが、身に覚えがないにもかかわらず自白してしまうところに、警察の取り調べの怖さが潜んでいる。この事件では、県内で幼稚園の運転手をしていた一主婦の「幼稚園の運転手をしている人が犯人なわけがない」という思いから菅谷さんと面会して、本人の無罪を確信し、動いてくれたことが、再審無罪に繋がったという稀有な例。初期のDNAの危うさが露見した事件だが、飯塚事件につながることなく、死刑執行されてしまったのは、国家による殺人としか言いようがない。
  • 東電OL事件:1997年、東京渋谷で発生した事件は、一流企業の女性社員が立ちんぼうの買春をしていたということで大騒ぎとなった。ネパール人のゴビンダさんが警察に出頭して、関係を持ったことを供述したが、殺害は否定。しかし現場の血液型などからゴビンダさんに決め打ちして逮捕・基礎。今裁判で未一審は証拠不十分で無罪とする真っ当な判決だったが、高裁、最高裁無期懲役。再審の証拠鑑定から無罪となったが、全くお粗末な警察検察の捜査。真犯人を取り逃がしてしまう失態は追及されないのか。
  • 氷見事件:2002年、富山県氷見市で発生した強姦事件。これもまた全く身に覚えのない事件で突然逮捕されるという理不尽極まりない。逮捕されたのはタクシー運転手をしていた柳原さん。現場には靴跡や精液などの物証があったにもかかわらず、危険な目撃証言から柳原さんと特定しストーリーを組み立て、その後はまっしぐら。真犯人が見つかったからよいものの、見つからなければ柳原さんの人生はどうなっていたのか。否、雪冤がなったとしても、そのダメージは2000万円弱の国賠補償では到底報われるはずがない。
  • 二子玉川駅痴漢事件:2006年、二子玉川駅で現役警察官が目撃したという痴漢の半人とされてしまった日銀職員の吉田信一さん。弁護士の「やってなくても示談にした方がいい。報道もされない」を真に受け痴漢を認めると、新聞で大々的に報道され日銀を解雇される羽目に。この事件、まず目撃した警察官が非常に怪しい。犯人をでっちあげたのではないかと推測される。経済学者の植草さんが、同じように警察官に目撃されたことで罠にはまった例があるが、どうも警察官は信用できない。すぐに追いかけなかったことも、現役警察官としての振る舞いではない。また、現場検証もなく自白だけで判断されることには無理がある。勿論弁護士の態度はもってのほか。痴漢冤罪事件は誰でもが犯人とされる可能性を持っている。特に警察などに反感を持つ人は、気を付けた方がいいでしょう。

17件の事件を見てきましたが、いずれも自白偏重、強引な自白強要と誘導など、日本の警察はそれしか能がないのかとがっかりしてしまう。と同時に、警察の捜査を100%信じる検察、検察が起訴したのだから友罪間違いなしとベルトコンベヤに乗った事件処理をする裁判所。これでは冤罪は拡大再生産されるしかない。唯一、裁判員裁判が施行されたことで、冤罪が少なくなっているという証拠はないものの、期待できる点はそこだけか。

今日はこの辺で。