里見繁著「死刑冤罪-戦後6事件をたどる」読了。著者は毎日放送に入社し、テレビドキュメンタリー一筋に生きてきて、現在は大学教授を務める方。
戦後の代表的な死刑冤罪6事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件、袴田事件、飯塚事件)+足利事件(無期懲役)を熱く語った作品。
各事件の詳細はここでは書きませんが、それぞれが一審段階から冤罪が疑われる事件で、それを警察、検察、裁判所がぐるになって冤罪を作り上げていった過程が描かれ、読んでいる方が司法各機関に怒りを覚えます。
殺人等重大事件の冤罪が作り上げられるパターンは大体決まっています。
1.事件発生から大規模な捜査態勢が敷かれるが、犯人が捕まらない。
2.犯人が捕まらないことに対して、警察内外からのプレッシャーが強くなる。
3.警察はメンツにかけても犯人を上げようとして必死になる。
4.小さな端緒(別件事件、不良者、精神薄弱者等)を見つけて無関係者を任意調査。
5.強引な(激しい恫喝、暴力、誘導等)で自白強要し自白調書の作成(捏造)。
6.犯人でない者は検察で否認するが、検察は警察と結託して警察の証拠で起訴、
又は、検察自らが強引な自白強要し、起訴。
7.裁判所は検察の証拠を鵜呑みにして弁護側の真っ当反論を無視して極刑判決。
8.高裁、最高裁もまた一審判決を支持して、まともな審理なく極刑維持判決。
9.再審請求にあっては、全くの開かずの扉で、数十年の長い年月が必要。
10.DNAなどの新証拠、真犯人が現れるなどで奇跡的に再審決定・・・
どの事件も、大体こんな形で冤罪が作られていることがわかります。再審無罪は本当に奇跡的なことだと思わざるを得ません。
里見氏は、本来裁判所が冤罪を食い止める最後の砦であるにもかかわらず、なんら機能せず、警察・検察、いわゆるお上のことは信じるが、民のことは信じられないという態度をあからさまにとり、言いなりになって判決を下すことの問題、無作為の罪をなんとかしなければ日本から冤罪はなくならないと記します。
財田川事件の再審地裁裁判長となった矢野伊吉は、死刑確定した谷口さんの過去の裁判記録を精読し、無実を確信して再審決定を決意するものの、二人の陪席裁判官が直前に反対表明して、裁判官を辞め、弁護士として谷口さんの再審に没頭することになりますが、二人の陪席がなぜ直前になって反対したかは自ずと明らか。上からの圧力に屈したため。それだけ裁判官にとって再審判決を出すことは勇気がいるということ。その勇気とは、すなわち自分の将来と谷口さんの命を天秤にかけて、自分の将来を優先せざるを得ないということです。最高裁が有罪を出した事件で、下級審が再審または無罪を言い渡すことがどれだけ裁判官に圧力としてのしかかるかの証明でしょう。
日本は三審制で、地裁でだめなら高裁、高裁がだめなら最高裁があると、希望があるように見れますが、実は二審制、もっと言えば一審制ではないかとつくづく思います。
最高裁が下級裁判所の人事をすべて握る今の制度下では、一裁判官に過大な期待はほぼできないといっても過言ではないと思うのですが。
今日はこの辺で。