冤罪事件に深くかかわってきた弁護士の今村核氏著「冤罪と裁判」読了。本書では、冤罪が作られる仕組みや、冤罪を晴らすことの困難さ、そして裁判員制度にも触れ、冤罪について幅広く検討した著作。
冤罪の作られる仕組みは、周知のように警察・検察の捜査側の責任が大きいのですが、職業裁判官もまた、警察・検察の言い分をやみくもに信じてしまう、あるいは信じた方が判決文を書く方が楽、あるいは自分の出世に有利などの理由で、真実を見ずに判決を下す傾向が大きいことを上げています。そうした観点から、裁判員裁判はわずかながら光明があるという論旨。ただし、まだまだ現在の裁判員裁判には問題があり、改善策を結びで提案しています。
仕組みとしての問題は、取り調べ段階の全面化が実現せず、密室の捜査が行われていること、検察が被告人に有利な証拠を出してこないこと。その結果最初無罪を主張していた被告人が、どういった経緯で自白に至ったかが、裁判員裁判でもいまだ見えるかがなされていない問題があると主張します。
郵便不正問題で起訴されたものの雪冤した村木厚子さんが言っていた言葉はさすがに至言。いわく、「警察・検察のプロ捜査官に尋問される一般人は、プロボクサーが普通の人とリングげ戦うようなもの」まさにその通りで、20日間も勾留されプロ捜査官に尋問されたら誰でも落ちるでしょう。村木さんは落ちなかったので、モンスター急ですが。
もう一つ本書では最高裁裁判官の至言を紹介しています。大阪母子殺害放火事件の裁判で、「いわゆる情況証拠の積み重ねで被告人が犯人であることが想定される場合であっても、その情況証拠が被告人が犯人でない場合には合理的に説明できない事実関係が必要」と言って原判決を棄却しました。最高裁判事にも、こうした良識派がいたことは救いです。
今日はこの辺で。