映画「パターソン」、「ベイビードライバー」

10日の土曜日は、ギンレイホールにて映画二題鑑賞。
アメリカ映画「パターソン」は、2017年公開のキネマ旬報洋画部門第二位の作品。アメリミズーリ州の小さな町、パターソンの市営バスの運転手の、その名もパターソンの一週間の日常を描いた、極めて平凡な題材を映画にした作品。この映画のどこに魅力があるのか?と疑心暗鬼で観たのですが、なるほど。
パターソンには、明るく活発な妻と、かわいいブルドックが家庭で待っています。家庭生活に何の不満もないと思われ、かつ彼自身が詩を愛する詩人でもあります。そんな彼が、毎日の日常をしに表すのですが、何がすごいかというと、主役を演ずるアダム・ドライヴァーに表情のすごさ。妻が200ドルのギターを買うといった時の困ったような表情、夕食のピザのようなものを食べた時の表情など。とにかく過程では妻がしゃべるだけで、パターソンはそれにこたえるだけ。その表情が、起こっているのか喜んであいずちを撃っているのか、観客が判断するのが難しい表情をするのです。彼にあるのは、それをしに表現するという行為だけ。不思議な魅力を持つ映画でした。
アメリカ映画「ベイビー・ドライバー」は、超人的なドライバーテクニックで犯罪者の逃亡を助ける若者が主人公。彼にはお金を貯める目的があり、そのために犯罪に手を染めているものの、心根はやさしく、愛する人を守るという精神にたけた青年。そんな主人公を映画の題材にするのもまた難しいところですが、彼を決して犯罪者に思わせないように作っているのが伺え、これまた不思議な映画ではありました。
今日はこの辺で。