栃木リンチ殺人事件での警察の罪

今日、栃木リンチ殺人事件の民事裁判の一審が宇都宮地裁で結審し、県警の捜査怠慢を認め、県に1億1千万円あまりの支払いを命ずる判決が言い渡されました。良くぞここまで踏み込んだ判決を下してくれたと、感謝・感激した次第です。私は一時期、この事件や桶川ストーカー事件に関する本を読み、関心を持っていましたが、なかなか裁判所がここまで警察の言い分を否定する判決が出るとは思っていませんでした。判決では、「警察の主張は信用できない」と談じているところが痛快です。
役所、特に警察は自分のみの潔白をどんな手段を使っても主張します。この事件でも、一度は警察が捜査しなかったことの不備を認め謝罪し、多数の処分を行いました。しかし、裁判となるや否や、謝罪を取り消すかのような反論を繰り返し、自己弁護を図りました。このケースは、桶川ストーカー殺人事件の埼玉県警や桶川警察と全く同じパターンです。警察のこうした態度は本当に腹が立ちます。警察=県の賠償は最終的には県民の税金で支払われるのかもしれませんが、高いお金を払ってでも警察は十分に反省し、二度とこうした不祥事が起こらないようにする方がよっぽど安く上がるのです。警察側の勝訴になったら、警察はこれを前例として、なんら反省もせずに、防犯と言う意味で何の進歩もないでしょう。殺人事件が起こってから動くのではなく、起こらないようにするのが警察の役目なのですから。
栃木の事件や桶川ストーカー事件など、主に被害者側または被害者の立場に立ったルポは数多くありますが、加害者側または警察側の立場に立った著作はあまり見かけません。警察が本当にその正当性を主張したいのであれば、どんどん世間に訴える手段としてマスコミを利用すればいいのではないか。私自身、そういった主張の書かれた著作を是非読んでみたいのですが、残念ながらありません。なぜないのかといえば、やはり正当性を主張できないからなのです。
私が好きな作家である横山秀夫は警察内部の内幕を描くのが巧みですが、そこに出てくるのは組織の自己防衛本能であり、役職者の自己保身が中心です。勿論彼が警察組織の全てを熟知しているわけではないでしょうが、こうした事件が起こるたびに、半分以上は本当なんだ、と誰でも思います。
栃木の事件では、殺された被害者の母親は50歳の若さで他界しました。こんな事件が起こらなければ、母親ももっと長生きされていたんだろうと思うと、本当にやりきれない気持ちになります。当時19歳の犯人は、2人が無期懲役、1人が有期刑が確定していますが、3人ともいずれは刑務所から出てくることになるでしょう。これだけ残酷な犯罪を犯した人間が生まれ変われるものなのか?私には分かりません。
今日はこの辺で。