鎌田慧「弘前大学教授夫人殺人事件」

ノンフィクション作家、鎌田慧さんの冤罪事件を追った作品、」弘前大学教授婦人殺人事件」読了。戦後間もなくの1949年に弘前で発生した大学教授夫人の殺害事件の容疑者として突然に逮捕され、一審は無罪判決だったものの、二審で覆され懲役15年の判決で、最高裁で確定し、刑期と勤め上げてから(模範囚ながら冤罪を主張していたため認められなかったが、説得されて嘘の自白をして反省の弁を述べたことから9年半で仮出所)、真犯人が名乗り出て、戦後初めて再審無罪となった那須隆さんと、ご家族の苦しい生活や思いを綴っています。

この本では語られていませんが、この判決で不思議に感じたのは、地裁の求刑が死刑で、極めて良識的な豊川裁判長が「有罪の証拠が不十分」として無罪判決、高裁がこれを覆して15年の判決となったことです。本来であれば、凶暴な殺人事件で15年は短い刑ですが、なぜこの短期刑になったのか?私は、高裁も証拠が完全でないことがわかっていて、極刑や無期懲役にする自信がなかったのではないかと推測します。本来であれば、完全でなければ無罪としなければならないのが刑事訴訟の基本。悪名高き東大教授、古畑種基のでたらめな鑑定にも逆らえない裁判官の勇気のなさがうかがわれます。最高裁に至っては、全く頼りにならないことは言うまでもありません。

冤罪被害者を出すことは、本人ばかりでなく、その家族の運命も大きく変えることになります。この本ではその辺も詳細な取材で明らかにしています。親や兄弟は殺人者の親族として大きく人生を狂わされてしまいます。それに対して何ら責任を取らない警察、検察、裁判官は気楽なものです。

那須さんを冤罪に追い込んだ警察官のその後の人生も取材していますが、皆さん、それなりに出世し、警察署長になったり、消防署長になったり、あるいは自動車教習所の所長さんになっていたりと、順風満帆です。それに引き替え、一審で無罪判決を出した豊川裁判長や血痕を鑑定し判定不能とした引田弘前大教授などは、どちらかというと不遇な人生になったと思われます。全く理不尽な話です。

今日はこの辺で。