映画「ドリーム」、「バルトの楽園」

本日の日曜日は、まずTOHOシネマ新宿にてアメリカ映画「ドリーム」鑑賞。1960年代初め、アメリカとソ連は激しい宇宙開発競争を繰り広げていましたが、先行したのは何とソ連人工衛星と有人飛行のいずれも先を越され、アメリカとしては相当のショックを受けたことが知られています。そんな時代に、NASAで黒人女性たちが活躍していたなどとは夢にも知りませんでしたが、これがなんと事実のようです。
映画は3人の黒人女性数学者や科学者にスポットを当て、その活躍や当時の黒人差別の状況を描きます。
コンピューターがまだない時代、複雑な計算は人力に頼られていました。もちろんただの労働者ではなく、ちゃんと数学的な知識があり、それをベースとしてコンピューターが計算するのを人間がやっていた時代。確かにそんな時代に宇宙ロケットを打ち上げられたこと自体驚きですが、それだけの人材を集めることも大変な作業でしょう。映画では途中でIBMのコンピューターが入っていますが、なかなか使いこなせる人がおらず、四苦八苦の場面も出てきます。
そして黒人差別の状況。公民権運動が激しかったころで、まだまだ黒人があからさまに差別されている時代。バスもそうだし、トイレも白人と非白人が分かれているのが普通で、それを普通に受け入れている時代でもありました。こんな時代にさぞかし女性がNASAで働くことの厳しさがあったでしょうが、映画ではそれほど差別を強調することなく、それでも強く訴えかけるものがありました。
眠くなることもなく、素晴らしい映画でした。
映画終了後すぐに駿河台の明治大学のオープン講座受講。第一次大戦時に、日本は日英同盟の関係からドイツに参戦し、当時ドイツが管理していた青島でドイツ軍と戦線を開き降伏させ、捕虜を日本の収容所に収容したのは知っていましたが、それ以外の具体的なことは知りませんでした。今日のオープン講座は、その捕虜収容所の一つ、四国徳島の鳴門近くにあった坂東俘虜収容所での捕虜に対する紳士的な対応がきっかけで日独交流が今でも続いているという話題。明治大学徳島大学の共同イベント。10年近く前に「バルトの楽園」という映画があり、ベートーベンの第九がそこから始まったという話を聞いていましたが、映画は見ずじまいでした。本日その交流の内容を聞いて、会津出身の松江収容所長の営団による収容所運営が行われていたことに感銘を受けました。軍隊という組織において、これだけ捕虜の人権を大切に考えていた軍人がいたことに感銘を受けた次第。リトアニアユダヤ人にビザを発行し続けた杉原千畝氏同様、組織の中での勇気ある行動には、どれだけの賛辞を送っても足りないと思います。確かに当時では異端行為として批判があるでしょうが、この二人の行為の正当性は歴史が証明しています。これから、坂東俘虜収容所がユネスコの世界記憶遺産に申請するとのことで、是非認定されてほしいものです。そんな訳で、ネットで「バルトの楽園」を捜し出して映画を鑑賞しました。
今日はこの辺で。