映画「独裁者と小さな孫」

本日、新宿武蔵野館で「独裁者と小さな孫」鑑賞。とある国の独裁大統領がクーデターにより失脚。行き場を失い、孫を連れて必死に逃亡するお話。とある国がどこなのか?監督がイラン人ということで、中東、北アフリカ独裁国家を連想させる。チュニジアから始まった一連の革命が念頭にあることは確か。独裁者とはいったい何によって守ららているのかを考えさせられる。経済的繁栄を国民に与える政策を取れば、多くの国民がその恩恵を受け、たとえ独裁者であろうと、その政権を倒すことはしないと思われるが、自由を奪われ、恐怖政治が横行すれば、次第に人心は離れ、やがては革命がおこることは必然。どこの独裁者も、考えることは同じで、経済の繁栄と軍隊の掌握が絶対条件。このいずれかの歯車が壊れれば、独裁の崩壊となることは必然だと思うのですが、極東の北朝鮮だけは不思議な国。経済はとうに破たんしていると思われるのに、なぜか独裁が継続している。
話はそれますが、映画の独裁者は、逃亡中に自分が行った独裁と恐怖政治の恐ろしさを自分自身で知ることになる。それでもラストシーンで孫の処刑が行われなかったこと、そして独裁者の処刑の際に、かつて投獄された思想犯と思われる人物が、殺しても暴力の連鎖が続くだけだと主張するところはが、監督の言いたいことなのだろう、と思った次第。
今日はこの辺で。