映画「君が生きた証」

11月7日(土)、ギンレイホールにて映画「君が生きた証」鑑賞。
冒頭は父親が大学生の息子に電話で昼食を誘う場面。息子は躊躇するようなそぶりは見せるものの、何ら変わった様子はなし。約束の場所で父親は息子を待つが、息子はなかなか来ない。約束を破られたと思って帰ろうとする父親がテレビを見ると、大学で乱射事件があったニュース。この時点で、息子も犠牲になったんであろうことが分かるのですが、その息子が犯人であったことが分からずに映画は進む。(分からないのは私だけかも?)
父親は息子が残した自作の曲を、ある青年とコンビを組んで歌い、檜舞台にも上がろうとするのだが、その時点で、やっと息子が犯人であったことが映画の上でわかっていく。
息子の墓に殺人者という落書きが書き込まれていることで、さらに明確になるのですが。
私が鈍いのか、本当に犯人であったことを表現していないのか、もう一度見ないと確認できませんが、少なくとも乱射事件を起こすような前兆は映画では描写されていません。
乱射で6人もの生命を奪った青年の残した曲を父親が大きな舞台で歌うのは、確かに抵抗があるでしょう。
この映画の作者は何を訴えようとしたのか?決して駄作ではないのですが、殺人被害者の立場から見ると、遺族の気も知らないで勝手なことを!これが正直な気持ちでしょう。
今日はこの辺で。