原田國男「裁判の非情と人情」

裁判官時代に高裁で20件以上の逆転無罪判決を言い渡した原田國男氏のエッセー「裁判の非情と人情」読了。

検察の起訴した刑事事件の99.9%が有罪となる現実、そして地裁が有罪と判断した事件に関して、逆転無罪判決を下すことが如何に現在の裁判所で難しいかは、皆さんの指摘するところ。その中でこれだけの逆転無罪判決を出してきた原田氏の裁判官としての矜持は尊敬に値するもの。

同じく無罪判決を数多く出した木谷明氏とともに、双璧のリベラル裁判官と言えるのではないでしょうか。

裁判官が事件を選ぶことはできず、機械的に事件が回されてくることを本書で記述していますが、そこから考えると、原田氏が20件の無罪判決を出しているということは、他の高裁裁判官もまた同じように有罪無罪の判定の難しい事件を担当しているはずですが、実際には逆転無罪を出す裁判官はごくわずか。したがって、それだけ冤罪の濡れ衣を着せたまま判決を下しているということが、統計的にも見て取れます。これは非常に恐ろしいこと。確かに実際は有罪ながら無罪にしたことも可能性としてはありますが、「疑わしきは被告人の利益に」、「100人の真犯人を逃しても1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」が刑事裁判の鉄則。ただ漫然と検察の言い分を聞いて、検察調書丸写しの判決を下す裁判官が如何に多く、かつ罪の意識を感じないかがわかります。原田氏も本書の中で、冤罪判決を出した裁判官の責任について言及していますが、法律上は裁判官は法律と良心に基づいて独立して判断する機関であることから、責任は問えませんが、両親があるかどうかは甚だ疑わしい限り。

原田氏の最終役職は東京高等裁判所統括判事で、木谷明氏も同じ。統括判事が偉いかどうかは別にして、同じ役職者は30名程度いるとのこと。結局こうした裁判官は高裁長官とか最高裁判事にはなれないことなのでしょう。上に行く人ほど、検察と仲良くやり、上の人の機嫌を取っているのでしょう。

本書は裁判官が悩みながらも一生懸命に仕事をしていることも淡々と描いております。ぜひ裁判官には上記の鉄則を胸に、人間の人生を左右していることを自覚して判決を下していただきたい。

今日はこの辺で。