日本弁護士連合会編「隠された証拠が冤罪を晴らす」

日本弁護士連合会編「隠された証拠が冤罪を晴らす~再審における証拠開示の法制化に向けて」読了。

日本の刑事裁判は、一般的に警察が捜査して容疑者を逮捕し、警察の取り調べを経て検察に送致し、検察で再度取り調べを行い、有罪が立証できるとなれば起訴し、裁判所が公判を開いて有罪無罪と量刑を下すことになります。このうち、警察・検察の取り調べの過程で膨大な証拠が集められますが、その証拠全部が開示されるわけではないことは意外と知られていないかもしれません。「それでも僕はやっていない」という映画を撮った周防正行監督も、映画をつくる過程でそのことを知ったと、本書で言っています。

現在は、裁判員裁判対象の重大事件については、基本的に全証拠のリストが提示され、公判前整理手続きで弁護側がそれを見て必要な証拠を検察に開示請求できるようになりましたが、他の裁判官裁判では今でもそれが行われていません。検察は有罪が立証できる証拠は裁判所に出して審理しますが、被告に有利な証拠はあえて出すことがないとのこと。ここに冤罪が生まれる大きな原因があります。

さて、本書の主題は、判決が確定したものの、被告が冤罪を訴えて再審する場合には、更に証拠が出てこないため、雪冤を果たすことがより困難になっている現在のシステムを変えられないかという問題を扱っています。

過去の冤罪事件の多くが、実際には警察・検察が被告人の無罪を証明する証拠を持っているにもかかわらず、それを出さないことから有罪になり、再審でもなかなか証拠が開示されないがために何十年という長期間懲役となり、あるいは死刑されてしまったりするという実例の中で、やっと出てきた証拠で雪冤が果たされた例などが記されています。通常の裁判以上に再審では法的根拠がないため、検察が証拠を出さないケースが多いこと、更には裁判官の個人的資質あるいは心情なのか、要は当たりはずれで証拠開示命令が出るか出ないかが決定してしまう今のシステムは大いに問題ありとの弁護士側の意見に対して、検察・裁判所はそれに積極的でないのがあからさまに伺えます。一度上告審で確定した判決を覆すことの検察・裁判所の恐怖が見え見えです。これではいつまでたっても冤罪はなくならないでしょう。

今日はこの辺で。