下村敦史「真実の檻」

下村敦史が冤罪事件の真相に挑む作品「真実の檻」読了。

母親の由美さんががんで亡くなり、その遺品整理をしている中で、主人公の石黒洋平は、自分の実の父親が今の父親である石黒剛ではないのではないかと疑問を抱き、ネットで調査したところ、20年前の起きた赤嶺事件という殺人事件で死刑判決を受けた赤嶺信勝が実の父親であることを知る。赤嶺は元検察官で、洋平の母親由美と結婚予定だったが、由美の両親から猛烈に反対され、「殺人者」には娘と結婚させられないと罵られたため、母親の両親を殺害した罪で起訴され、物的証拠が揃っていたことから死刑判決を受け、今も東京拘置所に収監されている。由美の両親は猛烈な死刑廃止論者で、死刑判決をいとわない検察官を毛嫌いしている(この辺はちょっと無理がある?)。洋平は、赤嶺事件を調べるうちに、夏木涼子という雑誌記者の「赤嶺事件は冤罪の可能性がある」旨の記事を目にし、涼子に会い、その疑問を一層深め、まずは当時死刑を求刑した元検察官で、今は弁護士をしている柳本氏に会い、彼も冤罪の可能性を語ったことから、洋介は涼子、柳本、そして痴漢冤罪の裁判を闘う被告の娘である三津田彩の協力を得て、さらに調査を行い、赤嶺信勝にも刑務所で面会して、ついには真犯人を特定して、冤罪を晴らすというストーリー。赤嶺信勝が一審で死刑判決を受け、控訴することなく確定してしまった背景には、一つには冤罪事件の可能性があった毒物殺害事件の死刑囚の死刑執行起案書を作成したことがあったと思われ、まずはその起案が間違いではなかったこと(冤罪ではなかった)を洋平が信勝に告げるが、本当の理由は、最初は洋平の母親由美が真犯人であったことを疑ったため、そして由美が真犯人ではなかったことを知ったが、真犯人を訴えることが洋平や由美の幸せを壊すことになることを思い、死刑を覚悟したという深い意味があったことが信勝から語られる。

紆余曲折はあったものの、洋平の信念が信勝の冤罪を雪冤したことになり、洋平は父親に倣って法曹の道に進むことになるのでありました。

本作で学んだのが、まず検察の業務分担で、起訴までを担当する捜査検事と、公判を行う検事が別であること(もちろんこれは知っていましたが)。そして、公判担当の検事は捜査担当検事が誰であったかについて、あまり詳しく知らないのではないかということ。本作では、赤嶺事件で信勝犯人説に疑問を呈した検事が、途中で変わっていたことを後半検事(本作では柳本)が知らなかった場面が出てきます。勿論こういったケースは極めて稀のようですが、公判検事にはそういった事情は伝達されていないと推測されます。検察の分業制が本当にいいのか否かはよくわかりませんが。

冤罪を生むもう一つの大きな要素は、裁判官の資質と受け持ち事件の数の多さ。世間の一般社会との接触が極めて少ないことで、社会常識に欠けること、年間300件の事件を担当し、一件ずつ判決文書を書かなければならないこと、判決を書く前までに膨大な量の証拠資料を読み込まなければならないこと。裁判官も人ですから、できるだけ効率的にことを進めたいのは当然で、いちいち証拠を吟味するより、検察・警察の言い分を丸呑みして、控訴理由書を丸写しできるような判決文を書ければ楽なはず。したがって有罪率99.9%が常態となり、有罪判決を出す裁判官は、「赤字」と呼ばれるように、なかなか手持ちの事件をこなせない状態に陥り、結果昇進も遅れてしまうというジレンマ。木谷明氏のような立派な裁判官が育つ土壌は今の裁判所にはないのが実態であり、そこから冤罪が生まれるのでしょう。

もう一つは警察と検察の罪。信勝は当時警察の闇金事件を告発するべく動いていたことから、真犯人ではないことを知りながら起訴し、有罪に持ち込んだことが明かされますが、これは大阪高検公安部長であった三井環氏が、検察闇金を告発しようとして、微罪をでっちあげられ逮捕されたことを思い出します。警察・検察に逆らうと何がなんでもその権力を行使して、その人物を社会的に抹殺してしまう恐ろしさも描かれています。

という訳で、本作も終盤近くまでは興味深く読みましたが、育ての親が真犯人だったこと、その動機がはっきりしないこと(洋平の母親由美の近所に住んでいて、由美に好意を持っていたが、拒絶されたため逆恨みし、由美の両親を殺害し、由美に罪を着せようとしたという動機はあまりにも不自然)には、違和感を抱かざるを得ないと思った次第。

今日はこの辺で。