足利事件と国松警察庁長官銃撃事件、そして中国毒ギョウザ事件

今日、国松警察庁長官銃撃事件が15年の時効を迎える。先週は足利事件の再審裁判で菅家さんの無罪が確定した。この二つの事件に共通性があるように思える。すなわち、警察のなりふり構わぬ強引な捜査である。
足利事件は、菅家さんが逮捕された事件の前にも、2件の同種の殺人事件があり、いずれも未解決のため、警察はかなり追い詰められていたはずである。一方の国松事件は、オウム捜査で後手を踏んでいた警察が、その最中に組織のトップが狙われたもので、警察としては何が何でも犯人を挙げなければならないという、極めて切羽詰った状況であったはずである。
そんな状況下で、足利事件では菅家さんが強引な捜査で犠牲になり、国松事件ではオウムの犯行という先入観を捨てきれず、こちらは犯人逮捕に至らないことになる。しかしながら、国松事件でも、一歩間違えばなりふり構わぬ犯人でっち上げも考えられなくはなかったのではないか?それが共通性である。
警察や検察権力は、組織の保身が第一であり、その保身とは社会からの信頼を損ねないことです。大事件の犯人を逮捕できないということは、警察への信頼を損ね、結果として警察批判になります。したがって、大事件や注目事件では、犯人を挙げることは絶対条件であり、そのために必死に組織防衛=犯人逮捕に邁進するため、組織内部で実際に何が行われているのか、全くわからないのが現実です。その権力の犠牲になる一市民こそが、冤罪被害者となるのです。
国松事件で冤罪被害者が作られなかったのは何よりです。犯人逮捕が出来ないより、冤罪被害者一人を生む方が罪は大きいのではないでしょうか。
そして同じような犯人逮捕の情報が中国から飛び込んできました。例の毒ギョウザ事件です。元臨時社員が、待遇の悪さを不満に思い、犯行に及んだとの中国側の見解。注射針が今頃下水道から発見されたとも報じられています。中国にとっては、食品安全の信頼を取り戻すためにも、そして日本との外交関係のためにも、一日も速く解決しなければならない事件。逮捕された犯人が冤罪でないことを願うしかありません。この種の事件での中国の刑は極刑とも聞いています。一人の人間の命を国家権力が奪うことだけは避けてほしいものです。
今日はこの辺で。