清水潔「犯人はそこにいる」

ジャーナリスト清水潔氏の渾身のノンフィクション「犯人はそこにいる」読了。本作は2014年の日本推理作家協会賞(評論その他部門)も受賞した、非常に読み応えのある作品。典型的な冤罪事件として有名な足利事件を、警察・検察・裁判所に犯人にされてしまい、17年間服役した菅谷さんが、まだ釈放される前から調査報道記者としてテレビ・新聞・雑誌などのメディアで伝え、再審無罪にもつなげた過程を、正にドラマチックに伝えた傑作です。足利事件が発生したのは1990年ですが、その前に既に足利市2件、隣接する太田市1件の幼女殺害事件が発生しており、更に菅谷さんが逮捕、拘留された後の1996年にも太田市1件の行方不明事件が発生しており、都合5件の幼女誘拐殺害事件が発生していました。清水氏は、この半径10キロ圏内で発生した事件を同一犯の犯行ではないかとみて、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と名付けて、報道を開始します。同一犯による連続事件とするためには、どうしても菅谷さんが足利事件の犯人であることは許されないという発想のもと、菅谷さんの冤罪を晴らす活動も同時に行い、当時のDNA鑑定の危うさや目撃証言の洗い出しなど、できる限りの調査報道を行い、世論を盛り上げ、最終的にはDNA鑑定の間違いが判明し、菅谷さんの冤罪が証明されました。こうした調査報道の過程で、清水氏は真犯人と思われる「ルパン」と称した犯人を特定するのですが、警察・検察は本格捜査する姿勢を見せないところに最大の問題があります。本の標題である「犯人はそこにいる」はまさに言えて妙。犯人は野放し状態にあるのです。

最大の壁は福岡県飯塚市で発生した「飯塚事件」です。こちらも二人の幼女が誘拐殺害された事件で、捜査は難航。世間の圧力に焦りを覚えた警察は事件発生の2年後に本間三千年さんを逮捕し、DNA鑑定と目撃証言などが決め手となり死刑が確定。確定後2年後に死刑が執行されてしまうのです。もしこれが冤罪であれば、国家の殺人が公になるのです。これを最高裁法務省検察庁警察庁が許すはずがありません。ここに刑事司法の闇が暗然と存在するのです。

私が印象に残るのは、1983年に死刑冤罪が再審で無罪となった免田事件の免田栄さんや菅谷さんについて、未だに警察関係者が「犯人」と決めつけ、それを言いふらしていることである。そして、それを信じ込んでいる人が少なからずいるということ。一度烙印を押された人の名誉は、真犯人が捕まらない限り晴れないのです。しかし、刑事司法は本気で捜査しようとしないのですから、本当に怒りを覚えます。

警察というところは、市民のちょっとした善行に対しても表彰を行います。警察内においても、ちょっとした手柄でもすぐに表彰する制度があるとのこと。その表彰が昇進にもつながるようです。これの裏を返せば、犯人をなかなかあげられないことは罰点となるのでしょう。その罰点を付けられないためにも、難事件では証拠偽装してまで犯人を捕まえる体質があるのではないか、と勘繰りたくなります。

祖水潔氏の本作は、刑事司法に携わる人間たちにこそ読んでもらいたい作品だと思うのですが。

もう一つ、刑事司法に群がる今のメディアの姿勢です。記者クラブに属して、刑事司法の垂れ流す情報のみを報道し、それが100%正しいような記事が世論を形成し、無辜の人間を極悪人に仕立ててしまうことに加担している現状をメディアが正さなければならない。真のスクープとは、いずれ誰もが知ることになる情報を一番早くキャッチして伝えることではなく、調査報道で、誰も知らない情報をキャッチし、それを伝えることにあるという本書の言葉を、すべてのメディア人に理解してもらいたいものです。

今日はこの辺で。