勤労感謝の日を前に

明後日は勤労感謝の日で祝日。休めるのはありがたいのですが、勤労感謝と言う祝日の意義が様変わりしている現実を実感せずに入られません。それは「労働」の形態が大きく変わってきたからです。現在の労働の形態、否労働者の契約形態が正社員、契約社員派遣社員、請負社員、アルバイト、パート等など、非常にバラエティーに富んだ形態が広がり、そこに大きな格差が生じてきてしまっていることが、労働の価値を変えてきているのです。一番の問題は、派遣社員契約社員、請負社員の地位の低さ、報酬の低さが、ともすれば労働の価値を歪曲してしまっているのです。「同一労働同一賃金」と言うのはよく言われるところですが、現実にはそれはありえません。年功序列が一概にいいとは言えませんが、一生のうちの生活サイクルの中で、結婚し子供を持ち、家を買い、子供を学校にやると言う標準的なサイクルの中で、年とともに賃金が上がっていかなければ、生活が成り立ちません。勿論その間に仕事の質も当然高くならなければならないのですが、現実には全員が全員高くなるわけではなく、逆に体力知力の衰えで能力が落ちるケースも多くなると思います。そうした現実から同一労働同一賃金は否定されるべきですが、現在の正社員とそれ以外の社員との格差は大きすぎます。その結果、同じように汗をかき、頭を使っていようと、ともすれば正社員以外の人たちの労働事態の価値が低く見られ、勤労感謝ではなく、「勤労不満の日」になりかねないような実態があります。
労働することは人間にとって極めて基本的な行為であり、これをまじめに続けることはやはり感謝に値するのでしょうが、それが否定されている今日の現状は悲しい限りです。
日本の大企業と呼ばれている立派な企業は今、史上空前の利益を上げています。そこには勿論勝ち組企業として不断の努力があっての結果でしょうが、一方では派遣や請負と言った弱い立場の労働者を大量に使って、調整弁かつ安価労働力として活用しているからこその結果でもあります。中国をはじめとした安い労働力を相手にした競争を勝ち抜くためには必要なことかもしれませんが、そろそろ考えを改めていく次期ではないでしょうか。大企業の利益にほとんど恩恵を受けていない日本人の労働者がほとんどなのですから。
今日はこの辺で。