非正規労働の待遇格差是正問題

“正規社員と非正規社員

読んで字のごとく、“非”常に嫌な言葉であるが、他に適切な言葉がないので、使うことをお許しください。

安倍政権は、一億総活躍社会と称して雇用の拡大をその成果として自画自賛したが、結局増えたのは非正規社員であり、最低賃金すれすれの低水準の賃金で、賞与も退職金も各種手当もない労働者を増大させ、コロナ禍が襲うと、明日の食費にも困る人たちを作り出すという、極めて脆弱な社会を露見させている。

この正規・非正規労働の待遇格差にかかわる重要な訴訟の最高裁判決が1013日と15日にあった。

13日は、東京メトロ売店で働く契約社員ら4人が、退職金の支給を求めた訴訟と、大阪医科大学で秘書として働いたアルバイト女性が賞与の支給を求めた訴訟。いずれも高裁では支給すべしとの判決であったことから、最高裁の判断が注目されたが、いずれも高裁判決を棄却し、支給しないことには一定の合理性がある旨自判した。

13日の判決で暗雲が立ち込め心配されたのですが、15日の日本郵政契約社員が求めていた諸手当や休暇などについては、ほぼ100%原告労働者側の請求を認めた。

日本型の労働慣行は、「仕事に人を割り当てる」ではなく、「人に仕事を割り当てる」というもので、年功序列・終身雇用が前提であった時代には、同一労働同一賃金といった問題提起はなされなかったのであるが、今はまさに「仕事に人を割り当てる」になりつつあるのであるから、正規・非正規という区別は無くならなければならないはずだが、経営はコストアップを受け入れがたく、企業内労働組合は、既得権益の喪失を恐れて踏み込めない状況にある。

さて、今後は同一労働同一賃金が実現していくのか。答えはYESであるが、それは好ましい方向にではなく、逆方向に向かう恐れが大きいのである、すなわち、正規が非正規に近づくことである。

13日の最高裁においては、今回の2つのケースでは退職金、賞与は認められないが、違うケースでは認められる可能性があるとしたことだ。非正規ながら、責任も仕事量も全く同じというケースはかなり存在すると思われるが、そういったケースでは賞与も退職金も支払うべきだという判決が最高裁でも出される可能性はある。そうなった場合、企業経営者は正規社員の賞与や退職金を減らして原資を作るか、又はいっそのこと賞与、退職金制度をなくしてしまおうとするのではないか。制度がなくなれば、確かに不合理な格差は無くなるのだから。世の中には賞与、退職金がない企業は五万と存在するのである。

人生100年時代、70歳を超えて、あるいは一生働かなくては、老後の生活が見通せない世の中に生きることの厳しさを、コロナ禍の中で痛切に感じるのは私だけではないでしょう。

今日はこの辺で。