青木俊「潔白」

1月21日からの冬の旅行時に持参した作品が、青木俊著「潔白」。青木氏はテレ東の記者を務めた方で、2013年から作家業に転身。「潔白」は2017年の書下ろし作品で、冤罪を扱った小説。恐らく記者時代から日本の刑事司法に強い疑問を持っているのでしょう、大きな怒りをもってこの作品を書いている、その思いが伝わる作品。

母娘二人が惨殺されるという事件が発生したのは1989年、被疑者が逮捕されたのが1991年、死刑判決が確定したのが2000年、死刑執行されたのが2002年。逮捕されるまでの期間が2年間、死刑確定から執行までが2年間というのは、九州で発生した飯塚事件と同じ。青木氏は、おそらく飯塚事件を参考にしたのではないかと思われる。

逮捕されたのは三村孝雄。彼はいい加減な目撃証言とDNA鑑定によって逮捕され、死刑確定後多々2年間で死刑執行される。一貫して犯行を否認し、再審手続き中でもあった。

DNA鑑定は足利事件と同じMCT118方式で、精度どころか、その鑑定法自体が極めて疑わしいものであることが今ではわかっている。更には目撃証言は警察の捏造の疑いが強いというのも飯塚事件と同じ。何よりも死刑確定判決から2年で、しかも一度も自供していないのに死刑執行されたという、正に刑事司法疑獄を告発する。

冤罪で有罪判決を受けるということは、たとえ死刑でなくとも本人及び家族は生きていくのにも大変な障害を受けることにあなり、本作でも妻は亡くなり、娘が苦労して成長し、何とか雪冤すべく、再審請求するのであるが、警察・検察のすさまじい妨害行為を受けることになる。しかし決定的な証拠をつかみ、最後は冤罪を晴らすことになるのだが、本書の中で出てくる「免田事件」の免田栄さんの言葉が印象的。無罪が確定した免田さんが、タクシーに乗って免田事件の免田は有罪か無罪かを運転手に投げかける場面。運転手は免田さんとはもちろん知らないシチュエーションだが、免田さんのが本当は有罪という。これが世間というものと落胆するのであるが、正にその通り。無罪が確定しても、なお無罪を信じてくれないのが社会なのだ。完全に晴らすには、真犯人を突き止めるしかないのだ。でも、それを本人や遺族に求めるのは、警察・検察・裁判所の自らの業務放棄というしかない。

飯塚事件の半人とされ死刑執行された久間三千年さんの妻が請求人となって再審を申し立てている。本作のような展開になり、無罪をぜひ勝ち取ってほしいものである。

今日はこの辺で。