下村敦史「悲願花」

犯罪には大体加害者と被害者があり、被害者は加害者を非難あるいは恨み、加害者は被害者にひたすら謝罪するという構図が一般的。下村氏の本書「悲願花」は被害者と加害者の心情について掘り下げたストーリーを展開する。

幸子さんは幼いころ両親が借金で苦しみ、子供3人を道連れに心中を図り、幸子さんだけが生き残り、養護施設で育った経験を持つ。今も小さな工場の事務員としてつつましい生活を送るが、セクハラまがいの待遇も受け、自分に悲観し、心中を図った両親を恨む気持ちが消えない。そんな幸子さんが、家族の墓地に行った際、一人の女性、雪絵さんが倒れるところに遭遇し、彼女を助け、彼女の境遇を知ることになる。彼女は離婚してシングルマザーとなり、3人の子供を育てていたが、生活苦から子供と心中を図り、自分と長女だけが生き残るという境遇で、4年の刑を受け出所した身。幸子さんは雪絵さんに自分の両親を投影し、雪絵さんに対して厳しく接するが、それでも雪絵さんが自殺を図ろうとしたところに駆けつけ、その後も引き続き入院の面倒を見るなど関わっていく。そんな中で、雪絵さんには生き残りの長女がいることを知り、被害者として同じ立場にある娘の美香に会い、雪絵さんとの再会の機会をつくる。美香さんは母親に悪感情を抱いていると勝手に思っていたが、実は美香は母親を許していたというラスト。

途中に、被害者である幸子が、両親を借金取りで苦しめ死に追いやった郷田という金融業の男を仮想の加害者としてネットで中傷してかたき討ちのような行為をするのだが、実は郷田は幸子の父親に子供を交通事故で殺され、加害者ではなく被害者であったことを知る。幸子は郷田と再会し、自分のしたことを謝罪するが、郷田はやっと加害者から解放されたことを幸子の語り、幸子はやっと加害者と被害者の呪縛から解放されることになる。

加害者と被害者の問題は、大きな事件があるたびに話題になる。特に被害者(遺族含め)は加害者に裁判で極刑を望む記事を目にする。私刑が許されない法治国家である限り、被害者の心情としては理解ができなくはないが、ネット社会にあっては、こうした言動が加害者家族にとっては被害者となることもあり、被害者が加害者として中傷される世の中。我々は、犯罪に対して被害感情と加害感情が紙一重にあることを認識すべきかもしれない。

今日はこの辺で。