映画「存在のない子供たち」「凪待ち」

週末の土日は、骨のある映画二題鑑賞。
27日(土)は、新宿武蔵野館にてレバノン映画「存在のない子供たち」鑑賞。レバノン映画は二本目になり、最初に見た「判決、ふたつの希望」も大変優れた作品でしたが、今作もなかなか見ごたえのある作品。「判決、ふたつの希望」は、レバノンに逃れたパレスチナ難民とキリスト教徒のレバノン人のちょっとしたトラブルから憎悪が生まれ、最後は両者の和解を感じさせるラストで明るい希望が持てましたが、今作は救いのない、非常に深刻な映画でした。
シリアから逃れてきた難民家族の12歳の子供が主人公。両親は仕事にもありつけず貧しい生活でありながら、子だくさん。子供たちは戸籍もないまま学校にも行かず、物売りをして生活費を稼ぐ生活。そんな生活の中で、12歳の少年の妹が売れれるように結婚させられていくことに腹を立てた彼は、アフリカ難民の女性の子供を連れて家出し、何とか外国に希望を求めて脱出しようとするのですが。中東の難民問題と貧困、年少少女の結婚問題。妹は嫁ぎ先で死んだことから彼はその相手を傷つけるのですが、妹の代わりに新しい命、彼の両親にまた新たな子供が生まれることから、彼は両親を訴えるという、怒りで映画は終わっていく。アフリカ難民の女性の幼い子供(赤ちゃん)の何とも言えない癒しの表情が秀逸でありますが、12歳の少年の怒りが救われないという悲しい映画でありました。
日本映画「凪待ち」は、香取慎吾ギャンブル依存症の飲んだくれ男を体を張って演じた映画。印刷の仕事をさせれば知識・技術も豊富で、人間的にもやさしい性格なのですが、競輪におぼれてしまうだらしない男。そんな彼が、川崎から内縁関係にある女性の故郷である被災地石巻に引っ越して、人生をやり直していこうとするものの、内縁の妻が何者かに殺されたことから疑いをかけられ、競輪場はないがやくざが運営する飲み屋で競輪にのめりこみ、大きな借金を作ってしまう。はたして彼の再生はあるのか否か?
香取慎吾というと、どちらかというと軽妙な役どころが多いと思っていましたが、今作では汚れ役を真正面から演じ、一皮むけるきっかけになれば、と思いました。
今日はこの辺で。