下村敦史「白衣」

下村氏が安楽死問題に目を向けた作品「白衣」読了。舞台はホスピスといわれる終末期医療を扱う病院。そこで発生した安楽死事件を中心にして、終末期医療の難しさを描写する人間ドラマである。

天心病院は余命が少ない病気にかかった患者を受入れ、安らかな死を目的として、心身の痛みをケアする病院。そこではがん患者を中心に、耐え難い痛みを訴える患者と、それを見て何とか痛みを和らげてほしいと願う家族、それらの希望に何とか応えようとして悩む医師や看護師がドラマを展開している。

「望まない命」は、将来を期待されたプロボクサーががんに侵され、その痛みに堪え切れず、医師の神崎に安楽死させてほしいと懇願する。妻は毎日見舞いに来るが、彼女が夫に非常に厳しいことを言っていることを聞いてしまい、夫婦の関係を疑う。しかし、妻はボクシングのセコンドのつもりで夫を一日でも長生きさせようとしていたのだった。しかし、その妻の気持ちを痛いほどわかっていた夫の懇願に抗しきれず、神崎は医師としてやってはいけない安楽死を選択してしまう。

「選択する命」は、27歳の女優がALSという難病にり患し、人工呼吸器をつけなければ生きていけない状態に堪えきれず、医師の高井に安楽死を懇願する。娘のつらさを思ってか、両親も見舞いに来ることが少なくなり、彼女の孤独といら立ちは増していく。そこへ現れるのは、彼女を主役で使ったことがある佐々田という映画監督。彼は彼女の最後の主演映画とするため、彼女と相談して隠しカメラを設置する。それが高井に気づかれることになり、高井はその意図を知ることに。なお、高井は神崎の後輩医師で、神崎の安楽死処置を告発した本人で、彼女に対しては説得を重ね、最後は希望を持てる結末でした。

「看取られる命」は、50代の女性患者が痛みに苦しみ、その姿を見たくない親一人子一人の息子は、見舞いに来ることを躊躇している。担当の八代看護師は息子を説得し何とか見舞いに来させるが、息子は母親の苦しむ姿を見て、何とか楽にさせてほしいと神崎医師に懇願し、ターミナル・セデーションという鎮静医療を施す。ターミナル・セデーションは安楽死ではないが、意識は戻らないことから、それを施すことには安楽死に似た医師としての葛藤があるのでした。

「奪われた命」は、高齢の妹を何とか楽にさせてほしいという兄の安楽死願望を、何度も説得し、拒否する神崎医師。兄はかつて兄妹でシベリアに抑留され、そこから脱走したという深い絆で結ばれた二人。そんな妹の苦しみをどうにかしたい兄。そこから二人のシベリアでの苦しい体験が、神崎を裁く裁判の中で語られる。この場面は涙なくして読めない部分。シベリアで脱走者が生き延びた記録があるのか不明で、兄妹で脱走というのは無理があるが、本当の妹は死に、助けてくれた別の日本人の娘を妹として帰還した話に胸が詰まりました。

「償う命」の患者は60歳の白血病の男性。彼は元刑務官で、死刑執行を職務でやってきた人。「奪われた命」で登場した兄に、医師に安楽死させることは、死刑執行する刑務官と同じであり、しかも罪に問われることになることを説く。兄はその話に納得するのだが、医師の代わりに自らが手を下すことになる。白血病の男性は、10年近く息子とは疎遠の関係。ホスピスで出会った高齢女性から一冊の本を読んでほしいと頼まれ、その作者が疎遠となっている息子だったことを知り、息子とのしこりが溶けるのだった。

最後の「背負う命」は、高井医師の祖母が終末期患者。彼女はがんの苦しみを抑えることは望むが、モルヒネだけは拒む。しかし孫として耐えられず経口薬のモルヒネで緩和措置を行う。患者の意に反してモルヒネ治療したことへの罪悪感を胸に刻む。そして、執行猶予判決後、安楽死治療を行っているとの噂を聞き、神崎のもとを訪れる。そこで見たものは、安楽死ではなく、本当の意味での終末期医療だった。

本書で扱うのは終末期医療の困難さと、安楽死治療への誘惑だが、最後にその答えが語られて、決して安楽死は終末期医療の答えではないことを訴えかけていました。

今日はこの辺で。