映画「存在しない子供たち」

ギンレイホールにてレバノン映画「存在しない子供たち」再鑑賞。

いい映画は何回観ても何らかの感動なり、新しい発見があるもの。「存在しない子供たち」もまたその数少ない良質な映画。

貧困・格差を描いた映画では、「パラサイト」がアカデミー賞を獲得するなど、優れた映画が多数できていますが、この映画の主題も貧困。レバノンベイルートといえば、カルロス・ゴーンが日本から逃亡して、現在はベイルートの豪邸で暮らしていますが、この映画の主人公一家は、狭くて汚いアパートに暮らし、かつ子供には戸籍もない有様。旦那は失業中で、子供がモノを売って生活費を得ているような貧困。にもかかわらず子だくさんで、生活の後先も考えずに更に子供を産むような夫婦一家。主人公の少年は、自分の誕生日も年齢も知らず、学校にも行けない有様。そんな少年が、妹が無理やり嫁に行かされることから家出して、絶望の旅に出る姿を描きます。最後は妹の夫となった男を指して罪に問われますが、同時に親を訴える悲惨な話。その悲惨さに目と心を奪われてラストの場面を忘れていましたが、この映画の最大の見せ場は最後の最後にあります。主人公の少年は非常に端正で、青年になれば二枚目タイプできれいな顔をしているのですが、最初から最後まで怒りと悲しさしかない場面で笑顔などはないのですが、最後に戸籍を作るための写真を撮られるのですが、ぶすっとした顔から、「笑って」という声に合わせて大きな笑顔が移ります。この落差、これだけ笑顔というもののすばらしさを訴える場面は初めて見ました。この少年がいつも笑顔で生活できることを願うばかりです。

併映の「幸福なラザロ」は論評に値しない、眠気を誘うばかりの映画でした。

今日はこの辺で。