国会事故調、菅首相

国会事故調の参考人招致も大詰めとなり、5月20日(日)は、当時の枝野官房長官、21日(月)は当時のトップであった菅前首相が参考人として出席し、聴取を受けました。
今までの参考人招致でだいたいの当時の対応が明らかになっていますが、東電関係者と真っ向から意見が合わないのが、いわゆる撤退問題。東電は一部撤退と言い、政府関係者は全面撤退と解釈し、これを契機に東電に統合対策本部ができたことになっています。
そこで焦点となるのが当時の東電清水社長の証言。事故調ではまだ清水社長の招致を決めていないようですが、彼に聞けばはっきりする問題だと思うのですが。
いずれにせよ、撤退問題が出るほどに事故発災からの1週間は、現場だけではなく、政府も東電も修羅場のような状況で、まさに危機管理が試された状況。しかし、残念ながら両者とも情報の錯綜や遮断、指揮命令の不備など、反省すべき事項がいかに多かったかが鮮明になりました。
そもそもは、「原子力事故は起こらない」ことが大前提になっていたことから、今までの防災訓練など何の役にも立たなかったことが証明されたかと思います。
菅首相の当時の対応、すなわち、1)発災直後に現場視察に自らが行き、現場に迷惑をかけた、2)東電に乗り込んで大声で失跡した、3)個人的な付き合いの人を参与として、セカンドオピニオンに活用した、等々、批判はありますが、日本の存亡がかかるほどの事態に直面した当時のトップとしてベストではなくとも、ベターではあったと、回答している印象を受けました。
歴史に「もし」はありませんが、もし鳩山由紀夫だったら、もし安部晋三だったら、もし小泉純一郎だったら、もし中曽根だったら、もし田仲角栄だったらなどなど。
首相の重みが分かるような気がします。やはり前の二人では荷が重く、後ろの三人であったら、それなりに人を使いきって、うまく対応したような気がします。
今日はこの辺で。