教育のあり方

教育基本法改正が安倍内閣の大きな目標ですが、それに合わせたかのようにいじめ問題と高校の履修課目不足問題が世間を賑わせています。土・日はテレビ各局で討論番組があり、北朝鮮問題と教育問題が中心に議論されていました。
高校の履修課目不足問題については、いわば政治決着で70時間程度の授業を行うことで収束するようですが、受験を控えた3年生は勿論、2年生・1年生にとっても、これからのタイムスケジュールが変わることで、影響が出そうです。ただ、3年生についてまじめに授業が実施されるか否かは、やはりその高校の主体性が尊重されるはずであり、実の入った授業が行われるかは疑問でしょう。どうせ授業を受けても何の見返りがないものをまじめに受けるほど、今の生徒は単純ではないでしょう。
私にも経験がありますが、高校3年生の時に、大学の受験科目にない授業時間には、受験科目の内職をしていたことを覚えています。まじめに授業を受けなかったからと言って、今日の生活に支障をきたしているかというと、そんなことはありません。日本では、少なくとも読み書きそろばんが出来れば何の支障もなく暮らしていけますし、サラリーマンとしてもやっていけます。要は社会に出てから如何に努力するかにかかっています。
ところで、いま教育委員会の必要性についての議論も沸きあがっています。教育長というと、自治体では首長(市長等)、助役についで重要な役職として扱われてきたように思ってきたのですが、教育委員会、教育長に意味があるのか?甚だ疑問です。教育委員会のあり方について少し見直すことが必要でしょう。
今日はこの辺で。