男たちの大和を観て

どうしたことか、映画づいてしまいました。今日は息子と「男たちの大和」を観賞。途中からなんとなく涙が出てきて、最後はハンカチが濡れてしまいました。決して傑作とは思わないのですが、心を打つものがある映画ってありますよね。この映画が正にそれに該当する映画じゃないでしょうか。この映画には突出した主役はいません。主役は題名どおり戦艦大和に載った「男たち」に他なりません。最後、大和は丸裸の状態で沖縄に向かいます。既に制空権(これはもともと日本にはなかった)、制海権とも完全にアメリカに握られ、沖縄に行っても戦艦一隻で何ができるというのでしょう。それでも連合艦隊総司令部は大和を沖縄に向かわせたのです。そして、途中案の定アメリカ軍の猛攻撃を受け、あっけなく沈没。大多数の若い海兵の命を奪ったのです。この命を誰が奪ったのでしょうか?アメリカ軍でしょうか?この映画はそうとは言っていません。戦争というおろかな行為と、そしてそれを指揮した政・軍の幹部たちが奪ったといっているのです。若くして徴兵または志願して戦争に行き、国のためと信じて死んでいった多くの人たちのどこに落ち度があったでしょうか。どこにもありません。彼らと政・軍の幹部は全く立場が違うのです。
この映画を観て思いを強くしたのは、やはり戦争を指揮した政・軍の幹部と一般の兵士は全く立場が違うということです。その意味で幹部の象徴としてのA級戦犯と一般兵士を同列に祭っている靖国神社に首相がお参りすることは、一般兵士の遺族からすれば喜ばしいことではないと思うのです。中国や韓国が不快に思うからではなく、日本の多くの戦死者の遺族が声を大にして参拝を反対するべきなのです。さもなくば分祀すべきなのです。
昨年息子と靖国神社に行き、就遊館を見学したのですが、ここでは誰が見ても先の戦争を美化しています。日本に戦争責任がないような思想で固まっています。この靖国神社の体質を我々はもっと非難し、変えていかなければ、また戦争の愚を侵しかねないと思うのは私だけでしょうか。
今日はこの辺で。