桜木紫乃「ヒロイン」

桜木さんが、オウム真理教事件で17年間逃亡生活を行った菊池直子さんをヒロインに見立て、架空の岡本啓美という女性が同じく17年間逃亡生活を行ったという話を作り上げた作品。

啓美さんは大阪に生まれ、バレー塾を経営する母親に厳しく育てられ、徹底的なバレーの指導を受けるが、自分の限界と母親から逃げたい思いで、叔母から紹介された「光の心教団」に18歳で入会。そこで5年間の出家生活を送るが、何も知らされないまま貴島という幹部信者に付き合わされ、渋谷駅毒ガス散布事件の片棒を担がされてしまう。啓美さんは後でそのことを知り、指名手配されたことから逃亡生活が始まる。貴島とは別れて、3か月間逃亡生活の末、母親と離婚して今は新潟に住む父親を尋ね、そこで再婚相手のみどりさんと娘のすみれさんに出会い、意気投合。逆に父親は二人に暴力をふるっていることを知る。二人に世話になったことから、父親を二人から離すことに成功。そこへ鈴木真琴さんという女性記者が現れ、埼玉県の小さな町に暮らす真琴さんの祖母のスナックに住み込むことができる。名前も孫の真琴を名乗りある意味平穏な暮らしを送る。そのころは、指名手配写真とは似ても似つかない容貌と体になっていたのだ。

埼玉での生活は平穏ではあったが、事件から9年半がたった時、本当の孫のまことさんから、貴島が死んだという連絡を受けまことのマンションへ急行。そこでまことが死体を切断していて、隠すのを手伝うことに。貴島が手記を書き、それを世に出せば啓美さんが無実なことが証明されるはずが、貴島は自殺してしまって、啓美さんの無実を証明することができなくなってしまったのだ。二人は遺体を、既に亡くなった祖母の家の床下に隠し、貴島の痕跡を消滅させる。

啓美さんは中国人実習生のワンウェイと関係を持っていたが、彼はいつの間にかいなくなり、彼の所在をまことさんが突き止め再会を果たす。彼は日本人の戸籍を取得して、今でも啓美を想っていた。二人は短い逢瀬を過ごす。しかし、再びいなくなってしまう。啓美さんはその後自殺しそうだった男に声をかけ、それを切っ掛けに、その男と6年間過ごすことになる。その男は、啓美さんの素性を知っていたが、自分が守ると言って、通告しようとした彼の友だちを殺そうともするような男。啓美さんは、その男をワンウェイに見立てて信頼していく。

こんなストーリーなのですが、私の好きな桜木作品の中でも、長編としては大変面白い作品でありました。

ちなみに、菊池直子さんは17年の逃亡生活の末、通告されて逮捕される。一審は懲役5年の判決を受けるが、高裁では「何も知らなかった」ことが認められ無罪を勝ち取り、最高裁で確定。何故すぐに名乗り出なかったかと問われ、そんな余裕がなかった、相談する人もいなかったと述べています。一審東京地裁の裁判は裁判員裁判が実施され、懲役5年の判決だが、これはメディア報道の影響が大いにあると思われる。これに対して高裁は珍しくまともな審判を下してくれたと感心しきり。実際に確定的な証拠はなく、菊池直子さんの上司でもなかった井上嘉啓被告の証言だけが根拠となった模様。物語の最後に登場する男は、指名手配犯をかくまったとして、懲役刑の判決を受け、これが確定している。これもまた、理不尽と言えば理不尽なこと。17年間の逃亡という事実に、なぜ自分は何も知らなかった、と名乗り出ることができようか。私の単純な感想である。

今日はこの辺で。