鮫島浩「朝日新聞政治部」

現在はネットメディアで活躍する元朝日新聞記者、鮫島浩氏が自分の朝日新聞記者時代の経験を生々しく綴った「朝日新聞政治部」読了。書名は「政治部」となっているが、政治部に限らず、朝日新聞の経営や、主張のスタンス自体の変化を知るうえで非常に参考になる本である。

鮫島氏は京大を卒業して1994年に朝日新聞社に入社するが、就活では新日鉄入社を予定していたとのこと。しかし、思うところがあって政治に関心を持ち、朝日新聞に決めたという経緯から始まる。鮫島氏は上司にも忖度なく直言し、更にはいくつかのアイデアを出したりする活発な記者で、特に調査報道に重きを置くスタンス。要は記者クラブ的な、上から流れてくる情報をそのまま記事にするのではなく、政治権力などの闇に隠れた事実を掘り起こし、新聞で報道することに重点を置くことをモットーとしてきたことが、やや自慢話風に綴られているが、新聞協会賞を受賞するなど、華々しい成果を上げてきたことは事実。そんなことから、自分がやや高慢になっていたという反省も含めて語っている。

本書のハイライトは、「吉田調書」と言われる福一事故時の吉田所長の政府事故調調査時の400ページに上る調書を配下の記者が入手し、それをスクープとして紙上一面で報じたことに関すること。鮫島氏は当時調査報道部のデスクとして深く関わり、当初はこの記事で称賛されたものの、安倍政権時の首相や菅官房長官の「朝日新聞潰し」にも影響され、誤報とされるに至る経緯である。調書を入手した記者は、東電の福一と本社を結ぶテレビ会議映像なども見ており、所長が福一内で待機せよと命じたにもかかわらず、社員の90%が福二原発に待機してしまった事実を「職務命令違反」と報じたことから、東電社員を侮辱するものと受け取られ、誤報とされた。だが、福一内での情報伝達は混乱を極め、所長が同趣旨の発言したのは誤報ではない。世間では福一に残った60人が英雄扱いされたことは周知の事実で、福二原発に避難したのも命令違反ではないとされるが、調書では所長がそう語っているのである。更に、吉田調書報道が誤報とされた2014年の時期は、慰安婦問題の「吉田証言」の朝日の誤報反省記事や、池上彰氏のコラム掲載拒否事件が重なった時期で、吉田調書報道は犠牲になった感がある。

今でも朝日新聞は反権力、反自民と言われるが、その傾向は弱まりつつある。更に本書でも記されている通り、購読者数は1994年の822万部から2021年には466万部にまで落ち込む悲惨な状況。経営としてはこれ以上の減少は食い止めたい、現場は反権力を貫きたい、権力などの闇に隠された事実を明らかにしたいという社内ジレンマの犠牲になった感がある。

ネットメディアが台頭する中、やはり新聞に課された役割は依然として少なくないはず。

私自身は長らく朝日新聞しか読んでこなかったが、鮫島氏が指摘するような、権力に忖度するような朝日であってほしくない。ジャーナリズムとは、あくまで権力監視装置としての役割を忘れてはならない。読売・産経には期待できない朝日の反骨精神を見せてほしい。それがなければ、更なる購読数の減少は避けられず、鮫島氏が予想するように、朝日新聞は消滅するしかない。

朝日新聞社内の事情も包み隠さずさらけ出した本書は、朝日にとっては目にしたくない内容もあるが、読者としては大変に参考になる内容でありました。

今日はこの辺で。