中山七里「セイレーンの懺悔」

中山先生がメディアの功罪について鋭く迫った「セイレーンの懺悔」読了。「セイレーン」は、ギリシア神話に登場する上半身が人間の女性、下半身は鳥の姿とされる海の怪物で、航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせるという生き物。メディアをセイレーンに見立て、いかにも真実たらしく大衆に事件を伝えるが、実はそこには大きな間違いが潜んでいるという中山先生の標題趣旨なのか。

女子高生が廃工場で殺され、同じ学校のいじめグループをテレビ局スタッフが犯人と見定め報道するが、実は大誤報。この報道で自殺未遂者迄発生し、テレビ局では大粛清人事が実施されるが、誤報の主役であった入社二年目の女性社員、多香美さんが続報取材で危険な目にあいながら大スクープを獲得するのが大体のストーリーだが、第三の権力と言われるマスメディアの功罪を描くのが中山先生の主題。

朝日新聞慰安婦報道で吉田証言を信じ込み、のちに大誤報とされる事件は、朝日新聞の信用を大いに棄損したが、その事例も語られるところが中山先生らしいところ。

現代はSNSのむせきにん報道がごまんと溢れ、ファクトとフェイクの見極めが非常に難しくなっている時代だが、プロのメディア人にはその見極めをするスキルを磨いてもらいたいものです。特に犯罪や政治報道における政府や警察・検察からの一方的な情報を鵜呑みにした情報の垂れ流しだけは注意してもらいたいもの。長年のいわゆる「記者クラブ」制度の廃止はいつになるのか?日本の報道の自由度が世界的にも低レベルにあることを、メディア人は何も感じないのか、不思議でなりません。

今日はこの辺で。