伊岡瞬「奔流の海」

伊岡瞬氏の作品は3カ月ぶりとなるが、やはり読みやすさは抜群。本作「奔流の海」もまた読みやすく、2日間で読了。

本作の目次を見て「何だこれは?」と思った次第。序章、第一部、第二部、終章はいいとして、一部、二部の項目が清田千遥と津村裕二(途中から坂井裕二)が代わりばんこにそれぞれ8話ずつ、各名前の下の()内が千遥は一部が1988年3月、二部が1988年7月、裕二の方は一部が4歳~16歳、二部が19歳~20歳の年齢が書かれており、何か意味があるのかと読み進めると、やっと意味が分かった次第。著者からすると親切に分かり易くするためにこうした目次にしたのでしょう。最後にふり返ると確かに意味が分かり易くなります。

序章は静岡県の架空の町、千里見町は千里見川と太平洋、背面は山に面した町。そこに1968年に大型台風が到来し56人が死亡する大災害となった場面。そこに住む有村夫妻が生まれたばかりの子供を抱え、安全な場所に避難するため車で移動するが、土砂崩れで車がストップ。消防の指揮に従い徒歩で移動中幼児を消防団の人に預けたところでは第一部へ。

20年後の1988年はバブル時代ながら、静岡の田舎町にはその気配はなく、父親を1年前にひき逃げ事故で亡くした母と娘の清田千遥は父親の死後、家業の旅館を閉鎖し、ひっそり暮らしている。そんな清田家に坂井裕二という学生が東京から宿泊したいと言って来訪。二人は張り切って旅館でもてなす。このときの裕二の姓は坂田。千遥は本来なら東京で学生生活を送っていたはずだが、父親の死があったため、母が心配で1年休学している状態。

次に話は津村裕二が4歳~8歳の時期に飛ぶ。裕二の章では年齢で表記し、千遥の章では暦年で表記しているのがミソ。

津村裕二は、ろくでもない父親がわが子を当たり屋の道具として使うようなひどい男。そんなことで裕二には4歳以前の記憶がない。恐らく以前にも当たり屋にされたと思っている。そんな最悪な家庭で育ちながらも、母親は優しかった。4歳以降の当たり屋の描写が描かれる。裕二が8歳~12歳で物心がついてきたころ、父親の嘘に乗っかってしまい当たり屋となり、大事故にあう。それをきっかけに裕二は車の運転をしていた弁護士の紹介で坂井隆という資産家と出会い、隆の養子となり、裕二は坂井裕二として東京で暮らすことになる。その陰では、父親は殺害され、母親は病死したと聞かされる。

一方の千遥は、母親に言い出せないまま坂井裕二に好感を持つようになり、坂井との再会を誓う。

裕二は、同じく虐待で一度は隆の養子となり、その後違う資産家の養子となった八木沢了という男につきまわされる。そんな八木沢の恋人であった大橋香菜子という女性に裕二も好意を抱くが、香菜子は自殺してしまう。そこで第一部終了。

第二部は、次第に裕二と千春の細かい糸が解き剝がされていく。

裕二は19歳となり、八木沢了から山に誘われ、八木沢から裕二の出自について調べた結果をほのめかし、あとは自分で調べろと突き放す。裕二は八木沢からの情報をもとに八王子に赴き、自分の母親の姉と称するスナックのママ昌江から、驚くべき事実を知らされる。

一方で千遥の章では、千遥の父親が1968年の台風で幼児を預かり、その幼児を違う女性に渡してしまい、一生後悔し続けた事実を裕二に語る。ここで両者がほぼ同一次元に達したのであった。

養親である隆は、自分自身も虐待を受けて育ったことから、虐待する親に我慢ができず、子供を助ける一方で、虐待する親を殺していた事実も裕二は本人から聞く。隆は自首することを誓うが、その前に交通事故で死亡する。

ついに裕二は本当の母親の居場所をつかみ、終章ではその母親と千春の旅館で暮らして、裕二と千春は夫婦となって登場するのでした。

20年前の台風での子供の返し間違いが、子供の不幸を招き、同時に実の親の家庭も不幸にしてしまった罪は重く、バイク運転中の千遥の父親は一生後悔することにもなり、更にはバイクでひき逃げに会い事故死。一つの間違いがこれだけの悲劇を招く恐ろしさ。

本作はそんな人間の人生の不幸を描きたかったのか、それとも罪のない人は最後には報われることを訴えたのか。

非常に興味深い作品で、かつエンタメとしても一級品でした。

今日はこの辺で。