岡本有佳・アライ・ヒロユキ編「あいちトイエンナーレ展示中止事件」

昨年の2019年秋、芸術の検閲、表現の自由の侵害として大きな問題となった、あいちトリエンナーレの展示企画「表現の不自由展・その後」のきかく・実行委員であった編者による「あいちトリエンナーレ展示中止事件」読了。

開催3日間で残念ながら中止に追い込まれ、終了間際の6日間だけ再会した本企画に対しては、多くの問題提起をしてくれました。

過去に各地の展示会等で展示を拒否された作品を集めた2015年の「表現の不自由展」を見学していた今回のトリエンナーレの芸術監督を務めた津田大介氏が、「その後」として是非今回のトリエンナーレで企画しようとして実行委員会諸氏に声をかけ実現したものの、韓国の日本大使館前に設置されている「平和の少女像」を公立の美術館で展示することはけしからん、という一部右翼・嫌韓関係者等の電凸や脅迫的FAXが大量に寄せられたこと、および河村名古屋市長が大きな反対の声を発したことなどから、これ以上の続行はセキュリティー上問題ありと、委員長の大村愛知県知事と津田氏が、ほぼ二人の独断で中止を決定。この決定に対して、「不自由展」出展者はもちろんのこと、他の出展者、また日本全国や世界中から「検閲」と「表現の自由」が侵されたことに対して、大きな批判の輪が広がりました。中止に至った経緯や芸術監督を含む主催者への批判なども含めて、詳細に説明されています。

この問題には、憲法で禁止された「検閲」、憲法で保障された「表現の自由」のほか、国(文化庁)の補助金交付をめぐる圧力、そして何より、展示が気に食わないという電凸者や脅迫者、政治家に屈せざるを得なかった主催者側の決定が、悪しき前例として日本の芸術界に残ってしまったということです。

「平和の少女像」は、韓国人「慰安婦」を象徴的に表現したものとして、これを日本の公的美術展で展示することは日本人の「心」を痛めるものだという言説を河村市長は言ったとのこと。心を痛めたのは市長や嫌韓市民だけであり、多くの国民が心を痛めるものではないはず。より多くの国民がこれを鑑賞することによって、日本の過去の過ちを反省し、平和を願う心を養うことにプラスこそあれ、マイナスはないはず。大浦信行氏の「遠近を抱えて」における昭和天皇が炎に包まれる作品もしかり。これを見て個人的に心を痛める人は、ほんの一部の戦前回帰を願う人だけでしょう。

本書では津田大介氏に対する批判も多く述べられています。パフォーマンス的にやっては見たものの、いざとなったら権力側になびいたような表現もありますが、彼にしても3日間の騒動で予期せぬ事態に動転し、セキュリティー上の問題を突き付けられ、やむを得なかったことが推察されます。

文化庁補助金問題については、騒動後すぐに菅官房長官が不支給について言及し、萩生田文科大臣が不支給を決定したとの報道がありました。不支給の原因が「騒動を認識していたが対策を取らなかった」という、あくまでセキュリティー上の手続き不備を掲げていますが、これもまた茶番。現政権にとっては許しがたい展示に違いありません。まさに検閲であり、表現の自由の侵害に基づくものです。この問題については、愛知県が不支給を不服として提訴し、文化庁は負ける公算大として、一部不支給に切り替えました。それにしても、文化庁長官は最も表現の自由の先導者でなければならない役職ですが、政府の言いなりのようです。

今後このような企画・展示はより一層難しくなりました。この事件の意味するところは、「日本に表現の自由はない」をまざまざと証明したことに尽きるでしょう。

今日はこの辺で。