映画「もみの家」

新宿武蔵野館にて日本映画「もみの家」を鑑賞。大変地味な映画でしたが、終盤近くになると、何故か涙がにじんできました。

東京に暮らす高校生が不登校になり、親が心配して、地方(富山県)の私設施設に預けることになります。主演に若い女優さんがなかなかうまい演技で、最初はふてくされた様子を表現し、次第に施設主催のご夫婦や施設で暮らす青少年・少女と次第になじんで、やがては富山の高校に通えるようになるまでを描きます。

いろいろな事情で施設に暮らす仲間としての自覚や、ご夫婦とのふれあい、更には独居老人との交流が淡々と描かれ、最後は老人の死と奥さんの出産で生命の大切さを知る姿が涙を誘う映画です。

文化庁補助金をもらっている作品のようで、それに値する映画でありました。

文化庁補助金と言えば、愛知トリエンナーレ補助金全額取り消しが、一部取り消しとなる決定がなされました。「表現の不自由展」に河村市長や右翼政治家などが言いがかりをつけて、名目は「運営上不備」で文化庁が全額取り消しした事件。愛知県は異議申し立てをした結果、今回の一部取り消しへの変更がなされた次第。

表現の自由をあからさまに権力が介入した事件として、後々まで日本の表現の自由が如何に「不自由」かを証明したことにもなりました。昭和天皇の肖像が燃やされる場面については、私もとあるシンポジウムで鑑賞し、作家の大浦氏の話も聞きましたが、特別に天皇を侮辱しているような印象は全く持ちませんでしたが、機嫌を損なう人もいるのでしょう。しかし、それはいわゆるレイシズムとは違います。

ヘイトスピーチ等、ある特定の民族や個人に対して差別的言動を行うことは、その民族なり個人の心を痛めます。これは明らかに差別であり、表現の自由は制限されるべきですが、愛知トリエンナーレの少女像や昭和天皇の肖像を燃やす場面で心を傷つく人がいるのでしょうか。勿論怒る人はいるでしょうが、心を痛めるほどの人はいないはずです。したがって、表現の自由は守られるべきなのです。

今日はこの辺で。