瀬木比呂志「絶望の裁判所」

元エリート裁判官で、裁判所組織にあいそをつかした瀬木比呂志著「絶望の裁判所」読了。私自身、今、とある行政裁判で原告の一人となり、行政と戦っているのですが、裁判所や裁判官は全くあてにはならないことを痛感しているところです。詳しくは書けませんが、最初は行政や政治家、マスコミへの訴えで世論を盛り上げようなどと考えたものの、それもかなわず、結局裁判に訴えることになったのですが、当時は裁判所および裁判官の体質をよく知らなかったのが正直なところ。

瀬木氏は東大法学部を卒業し、最高裁調査官まで歴任した経歴を持っており、まともにいけば出世コースに乗ったのでしょうが、本人が書いているようにストレスから精神の病を経験し、退職して学者となった方。少なくとも裁判所や裁判官の実態をよくご存じかと思います。瀬木氏の言う通り、現在の裁判官は正義の味方なのではなく、ただひたすら訴訟の処理をいかに効率よく進めて、いっちょ上がり的に機械的作業を行うマシーンのようなもの。いかに早く、多くの事件を処理できるかが、出世のカギになっているようです。典型は刑事裁判における有罪比率99.9%という、検察任せの裁判。今のような裁判官の仕事であれば、過去の判例を覚えさせたAIで十分に用が足りるのではないでしょうか。むしろAIの方が、冤罪無罪となった事件などの情報も読み込ませ、より公平・公正な裁判ができるかもしれません。

現在の官僚の人事権が内閣府にあることから、官僚が政権に忖度するのが常態になりつつありますが、同じように最高裁事務総局に人事権を握られた裁判官は、最高裁事務総局の機嫌を損ねるような判断を下せない仕組みになってしまっています。この本を読んで改めてその思いを強くしました。

狭山事件名張ぶどう酒事件、袴田事件など、明らかに警察がでっち上げた証拠と脅迫的強要による自白でありながら、再審決定できない裁判所と裁判官に果たして良心の呵責はないのか?全くもって不思議なお役所としか言いようがありません。

今日はこの辺で。