瀬木比呂志「ニッポンの裁判」

元裁判官で、現在は明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志が、「絶望の裁判所」の姉妹書としてかいた「ニッポンの裁判」読了。瀬木氏は、最高裁調査官も勤められた、いわばエリート裁判官のはずですが、どんなきっかけで日本の裁判所を絶望と感じ始めたのか?瀬木氏の日本の裁判所に対する失望感は相当なものであることが、本書を読んでいても分かります。一昨日には最高裁同一労働同一賃金にかかわる判断が2件ありましたが、高裁段階では非正規社員であった原告の賞与や退職金を認める判決があったにもかかわらず、最高裁小法廷は棄却しました。判決はあくまで今般事案に限った判断で、事案によっては認めることもありうるというような但し書きがあるようですが、直近の最高裁判例として、大きな意味があることは確か。経営側としては「助かった」という思いが強いはずですが、同じような非正規で働く方々にとっては、ショッキングな判決です。経営側は、この判決を持ち出して、堂々と差別を助長する可能性もあります。瀬木氏の絶望感は、こういった時代に逆行する判断を出す最高裁の実態を知っているが故のものでしょう。この判断に最高裁調査官がどのようにかかわっているのか、調査官の判断に引っ張られる判事が多い中、最高裁判事の資質も極めて心配です。ちなみに、本裁判にかかわったのは第三小法廷で、大阪医科大の賞与訴訟は宮崎裕子氏で、弁護士ながらどちらかというと企業法務出身、東京メトロの退職金訴訟の林景一氏は外交官出身。メトロの法は一人反対したそうですが、どうも調査官の意見に引っ張られた気配もあります。働き方改革同一労働同一賃金の声が高まる中、思い切った判断を下せない最高裁の保守性が露になった例です。高裁が折角世論に引っ張られて思い切った判決を出したにもかかわらず、残念な結果です。

「絶望の裁判所」でも語られていましたが、最高裁事務総局による人事支配、それに委縮する裁判官の、「自分で判断を下せない」実態が浮かび上がってきます。

本書で最高裁の無法性が最後に出てきます。裁判員制度のPRのために企画されたタウンミーティング2005年から全国各地で開催されましたが、電通が請け負ったとのこと。しかし、3億円以上のお金を使いながら、契約書は後付けで作成、電通採用の経緯も公明性に欠けるなど、法的に極めて危うい対応をしたことがわかっています。さらに映画製作やTVコマーシャルなど、同じような対応があり、予算の使い道の明細視わからないものがあるとのこと。法の番人であるべき最高裁がこのありさまで、いったい誰が裁判を信じるのか。

私も行政訴訟の原告となり、7年間戦ってきましたが、本書の行政裁判における裁判所の対応を見てがっくりしました。最初から分かっていれば訴訟など提起しなかったのに。とにかく行政裁判では行政機関よりの判決、刑事では検察の主張のままの判決。つくづくニッポンの裁判のいい加減さがわかりました。

今日はこの辺で。