一穂ミチ「スモールワールズ」

一穂ミチさんの、直木賞候補となった短編作品「スモールワールズ」読了。

6篇の短編からなる本作ですが、いずれの作品も感慨深いというか、読み応えのある作品でありました。

ネオンテトラ:主人公は既婚者でモデル業をやっている34歳の相原美和さん。彼女は妊活に励むがなかなか妊娠せず、夫が浮気していることも知る。そんな彼女が気が付いたのは、自宅窓から見える父親から厳しく叱責を受けている中学生の少年。この少年はよく家に来る姪と同級生であることも知る。美和さんは少年と姪が仲良く抱き合っているところを目撃し、姪が少年の子供を妊娠しないかと画策。それが当たって、姪が子供を産み、その子を用紙に迎えることに成功するというお話。ちょっと非現実的ではあるが、恐ろしくもありました。

「魔王の帰還」:野球一筋だった高校生が不祥事を起こして転校。彼は、その不祥事とは、野球部内で暴力にさらされている友達を助けるために、バットを振り回してしまったこと。彼のうちに、女性離れした堂々たる体格と精神力を持つ姉が嫁ぎ先から実家に帰ってくる。高校生はクラスで唯一の友だちである女性徒と親しくなる。この女性徒も義理の父親から虐待を受けたため祖母と暮らしていた。姉が嫁ぎ先に帰らないことを心配した母親の頼みを受けて、嫁ぎ先を尋ねた少年は、彼女の夫が不治の病となり、姉に迷惑をかけたくないと言って離婚届けを何枚も書いて渡していた。姉は心優しいため、最後は離婚せずに嫁ぎ先に帰っていく。姉弟ともに正義漢とやさしさがある感動的なお話でした。

「ピクニック」:今日は家族親族伴って楽しいピクニック。そんな家族にはつらい過去があった。主人公は英里子さんという既婚者。子供が生まれ、育児鬱のような状態が続くが、何とか10カ月を迎えるころには落ち着く。彼女の唯一の親である母親の手助けがあったからk乗り越えられたのだ。夫は単身赴任中で、母からたまには夫のところに行ってゆっくりしなさい、子供は私が見るからと言われ、英里子さんは言うとおりに夫のところに一泊する。その日、子供が死んでしまう。不審死の疑いがあり、面倒を見ていた母親に嫌疑がかけられ、母親の過去がさらされていく。英里子が2歳の時に、妹が突然死でなくなっていたのだ。警察もそのことを持ち出して母親を責め立て、妹のことを何も聞いていなかった英里子も母親に疑念を持つ。しかし、母が殺すはずはないと思いなおし、専門家の話も聞き訴え、母は釈放される。母はなぜ隠していたのかが語られる。実は2歳の英里子が、母が見ていないところで妹を人形だと思い、持ち上げて布団に落としていたのだ。だから母は何も英里子に話していなかった。そして、母はその幻影にとらわれ、孫を同じようにしてしまった結果が今回の悲劇だった。

「花うた」:冒頭が2020年の向井深雪から弁護士への手紙。それから2010年に遡って、新堂深雪から向井秋生、向井秋生から新堂深雪の往復の手紙のやり取りが続く。10年間の違いは、深雪さんの姓が新堂から向井になっていること。これは10歳違いで父親代わりでもあった兄を殺された深雪と、傷害致死でその犯人で5年間の服役をしている秋生との手紙のやり取りが作品となっている。弁護士から手紙を書いたらどうかと言われて書き始めた交流。最初は犯人の恨みつらみを書き綴る深雪。それを受け止める秋生。次第に深雪の恨みが消えていき、逆に秋生への親近感が増していく過程が手紙から読み取られていく。1年半ほど過ぎたところで、刑務所内での高校を受けたことから記憶が消えてしまう秋生。そんな秋生を気遣う深雪。そして5年の刑期を終えた秋生を迎えに行く深雪。その後秋生と結婚した深雪が弁護士に送る手紙。更に冒頭の2020年の手紙から30年後の弁護士から深雪に送った手紙。最後の手紙には、かつて深雪に約束した矯正プリグラムの最後の宿題である反省の言葉がひらがなで書かれていた秋生の言葉が添えられていた。

「愛を適量」:主人公は55歳の男性高校教師の須崎慎悟さん。バツイチ、一人暮らしで、担任も部活も持たない教科担任、情熱なしの教師で、同僚教師からも生徒からも疎まれ、それをよしとしている気楽な身分。そんな慎悟のアパートに、見知らぬ男が訪ねてくる。ぞんざいな言葉であいさつする男が誰かと思いきや、別れた妻が引き取った娘。娘は、自分はトランスジェンダーで、死別適合手術を受ける予定だが、母親に言うと追い出され、暫く置いてほしいと頼まれる。嫌とも言えず暫く一緒に暮らすことに。娘は何かと父親に身なりをもっと若くしろとか指示して慎悟さんもそれに逆らわずに幾分学校でも変わったなあと言われるようになる。慎悟さんは、前はバスケット部の顧問をして優勝したりして情熱を傾けたことがあったが、あまりに頑張り過ぎて事故を起こし、それ以来離婚したりしてすっかり変わってしまった。そんな父親に娘が最後にあったときに、娘は自分が初潮を迎えたことが嫌でしょうがないと告白されたことがあった。慎悟はすっかり忘れていたが、その時の慎悟の言葉は”自分は分らないから保健室に相談して”だったのだ。娘はそれをまだ覚えていて、手術代500万円をこっそり預金から引き出し、復讐する。慎悟はそれを思い出し、自由に使ってくれとしか言えなかった。

式日」:ここでの式日は葬式のこと。主人公は名無しの先輩と後輩の二人。ある日後輩から、父親が死に、誰も来る人がいないから先輩に来てほしいと連絡が来る。先輩と後輩は、かつて先輩が定時制、後輩が昼間学級の高校に通学していて知り合った仲。同じ机を使っていることから、紙でのやり取りが始まり、会うようにもなる。年齢は6歳違いで、今は交流がないが、葬式がどんなものか興味があり先輩は電車を乗り継いでいくことに。先輩は施設で育ち、中卒後働いていたが、高校に行きたくなり定時制に行き、後輩は父親の虐待にあって2年で中退した身。その父親が自殺したとのこと。二人は当時のことや今の気持ちを語り合うのだった。

直木賞にノミネートされ、受賞してもおかしくない作品だと私には感じたが、受賞は時の運なのだろう。

今日はこの辺で。

2024年映画鑑賞のふり返り(1)

ギンレイホールからは、相変わらず会館のお知らせがなく、場所探しに苦労しているのかどうか?そんなわけで最近は地元下高井戸の下高井戸シネマが専門となりつつあります。

2024年第一四半期のふり返りは以下の通り。

「あしたの少女」:韓国映画は今世界中で注目度抜群ですが、その題材もバラエティーに富んでいます。日本以上の競争社会と言われ、一流大学や一流企業への入学・就職は大変で、映画の題材にもなりますが、本作は高校生の就職の話。学校の推薦でコールセンターの実習生となった高校3年生が、実習生にもかかわらず責任を負わされ、自殺するという、実話に基づいた映画。観ていて腹が立つほどの理不尽な企業や上司の対応で、ハラスメントもあったもんじゃない話ですが、映画としてはよかった。

「ヨーロッパ新世紀」:珍しいルーマニア映画フランケンシュタインで有名な東欧の片田舎の小さな村の工場で、アジアからの外国人労働者が雇用されたことから、村人の雇用が奪われるという不安心理も手伝って不穏な空気が流れだすという、正に不穏な雰囲気の作品。東欧の作品は、何故かこうした暗い話の作品が多いのはなぜでしょうか。一見の価値ありの作品でした。

「カムイのうた」:アイヌの言語を文字化したのは有名な金田一京助先生ですが、それを手伝ったアイヌ出身の女性の物語。彼女は、アイヌ女性の先駆的人材で、学業優秀なことから師範学校を受けるが、人種問題で入学できず、女子職業学校に入学。そこでも大きな差別を受けるが、金田一先生が現れたことから、その仕事を手伝うため東京に出て見事な業績を残すが、残念ながら病気で早逝。こんな優秀なアイヌの女性がいたことに感動。

「市子」:最近その演技力が注目され売れっ子となってる杉咲花さんが主演を務め、過酷な境遇に翻弄された市子という女性。恋人ができてプロポーズされるが、翌日に姿を消す。恋人は市子の消息を探すが、次第に彼女の境遇が明らかになってくるという筋書き。犯罪映画では戸籍の売買などがよく出てくるが、市子はかつては別の名前で生きていたことがわかる。この映画も一見の価値ありでした。

「正欲」:朝井リョウのベストセラー小説の映画化。LGBT関連映画は世界中で氾濫しているが、本作はQに属する人たちを対象にした作品。検事役の稲垣吾郎は主演というよりも、助演的な役回りで、主演はQの正欲を持つ新垣結衣と言った方が適切ではないか。彼女は水に異常な欲望を持つ。同じ水に欲望を感じる人間が登場し、自分と同じものを持つ仲間として分かり合えるが、その他大勢の人間には理解できない。これが大きな悩みになってしまうという話で、予備知識なく鑑賞した私もびっくりした次第。世の中にはこうした悩みを抱える人もいるのだと理解しなければならないことを教えてもらいました。

「ティル」:1950年代、シカゴで育った息子が南部ミシシッピーの親せきの家に遊びに行くことになり、白人には気を付けろと注意する母親。そんな息子が、母親の言葉も何のその、ある商店で女性の店員に声をかけてしまう。その女性は店のオーナーの娘で、早速娘の親が声をかけた息子を引っ張り出していく。その後死体が発見され、裁判となるが陪審員は全員が白人で有罪になるはずがない。これは「アラバマ物語」と全く同じ。母親はその後黒人解放運動に大きな役割を残すことになる。今でもあまり変わっていないアメリカの暗部でありました。

「カラオケに行こ」:綾野剛が気のいいやくざに扮し、組組織のカラオケ大会があるので、指導をしてほしいと、高校の合唱部の男子生徒を強引にカラオケボックスに誘う。少年はいやいやながらだったが、次第にこのやくざが好きになっていく姿を、喜劇調に描くドラマ。何度も会場から笑い声が聞こえる、珍しく楽しい映画でした。

「パリ・タクシー」:90代の女性がパリでタクシーに乗り、女性がドライバーに行くところを指示。それは彼女の人生の思い出の場所。ドライバーは全てがうまくいかない人生の危機に陥っていたが、やがて老人女性徒意気投合し、最後には意外なハッピーな結末が待っている。心温まるいい作品でありました。

ゴジラ-1.0」:アジアで初めてアカデミー賞の視覚効果賞を獲得した作品。終戦直後の東京はまだバラック小屋が残る状態。特攻の生き残りが自宅に帰るが誰もいない。ある女性と出会い同居する。そんな冒頭から始まり、水爆実験で出現したゴジラが東京を襲う。特攻生き残りの男は、ゴジラの弱点を見極め、最後の特効に挑むのだった。ゴジラの迫力は大いに見ものですが、ストーリーはまあこんなものか、でした。

今日はこの辺で。

伊吹有喜「雲を紡ぐ」

伊吹有喜作品は初めて読むのですが、本作「雲を紡ぐ」で直木賞候補にもなったことのある女流作家。

主人公は山崎美緒さんという高校2年生の女性徒。学校でのいじめから不登校になり、部屋に引きこもっている。父親の広志さんは家電メーカーに勤める技術者、母親の真紀さんは私立中学の英語教師。父親の会社は経営が不安定で自分もリストラの不安がある。母親もまたクラスのいじめ問題に悩み、SNS上で中傷されイライラが募る。娘の不登校が一層両親の不和を深め、家庭崩壊のピンチにある。そんな中、母親から強く言われたことから、逃げるようにして父親の故郷の祖父を尋ね、暫く置いてもらうことに。祖父の鉱治郎はホームスパンの制作者で、この世界では先生と呼ばれる人。かつて美緒が祖父母からもらったホームスパンのショールが大好きで肌身離さず持っていて、興味を抱いていた。

美緒さんは確かに母親が言うように人間的に弱い部分があるかもしれないが、そんな美緒を祖父は暖かく迎え入れ、美緒が興味を持ったホームスパンづくりを教えることに。

本作は、手作りのホームスパンづくりという職人仕事の内容まで詳しく作中で説明してくれたり、盛岡の街の魅力を披露してくれる。ちなみに、昨年盛岡の街を散策した際に入った中津川沿いの「ふかくさ」というカフェも実名で出てきた。草に覆われた小さな魅力的なカフェで、そのほかにも魅力的なカフェの名前が出てくるので今度行ったときにはカフェ巡りも楽しそう。

さて、物語は終盤に入り、美緒はこれから東京に戻るのか、盛岡でホームスパンづくりの職人さんになるのか。悩みに悩んだ末、後者の道を選ぶ。但し通信制の高校を出て、大学まで行くことを念頭に。そしてやっと母親も娘の選択に理解を示し、夫婦の仲も何とか離婚に至らず、何とか家庭崩壊を免れる。

「雲を紡ぐ」とは、羊毛を雲に例えて、糸を紡いで、染色して製品に仕上げていくというホームスパンの制作過程を表したもので、粋な表題でした。

今日はこの辺で。

一穂ミチ「パラソルでパラシュート」

一穂ミチさんの作品は初めてですが、彼女自身は2022・2023年の本屋大賞にノミネートされ、惜しくも逃している人気作家。これから大いに期待されますが、今回はとりあえず図書館にあった「パラソルでパラシュート」。

東京生まれながら現在は両親と大阪に暮らす柳生美雨さんが主人公。彼女はたまたま行ったライブのコント劇場で、矢沢亨さんと出会う。初めて吐く靴で靴擦れができ痛がっているところを亨に出会い、手当てしてやるからと言われ、彼が住むシェアハウスについていってしまう。何故か亨が安心できる男に思えたからの行動。そのシェアハウスの住人は漫才やコントを生業とする4人。美雨さんはその後このシェアハウスに人達と話が合い、ここと良さを感じて入りびたるようになり、最後は一人が抜けた穴を埋める形で住むようになる。美雨は亨と彼の相方を勤める弓彦、シェアハウスの住人である郁子さんとマコさんなどと交流していく姿を描く。美雨さんは会社の受付嬢で契約社員。現在29歳の美雨さんは30歳になったら会社を辞めることが決まっており、資格も特技もない彼女には将来的な不安が付きまとうが、そんな彼女と同じようにコント・漫才をやっているシェアハウスの人達もメジャーになることが難しい業界の中で、将来的な不安を抱えており、何か共鳴すべきところがある。前記した人たちとの会話が中心になる作品の中で、ハイライトは亨の継母が彼を尋ねてくる場面。亨は北海道生まれで、母親がなくなり葉月さんという従姉が父親と再婚。亨は葉月さんを恋してしまい、一緒に故郷を捨てようと言ったが拒否された仲。その葉月さんが突然大阪に来て、父親が亡くなったこと、遺産放棄の判を押してくれと楽屋で迫る。でも葉月さんは決して悪い人ではないことを亨は知っていた。

美雨さんは1年後、予定通り受付嬢はやめるが、これからどうするのか?亨さんと結婚するのか?それは誰もわからない。

今日はこの辺で。

山田清機「寿町のひとびと」

寿町は日本三大ドヤ街と言われる、横浜市にある簡易宿泊所街である。大阪の西成(あいりん)、東京の山谷と並び称される、私自身は大阪と東京にドヤ街には行っているが、寿町はまだ足を踏み入れたことがない。山谷はそれほどのカルチャーショックはなかったが、大阪の西成ドヤ街は、かなりカルチャーショックを受けた覚えがある。いずれの街も、都会の真ん中にあり、寿町も最寄り駅が関内や石川町で、中華街も至近にある、いわば一等地の中に存在するちょっと変わった一角である。

本書「寿町のひとびと」は、ノンフィクションライターの山田清機氏が、実際に街の中に入り、「ひとびと」にインタビューして、この街の成り立ちや、そこで中心的に日雇い労働者やホームレス(野宿者)など、底辺の人達のために活躍した人々を描きながら、変貌していく寿町の姿を描いていく。

オイルショックまでの高度成長時代までは、土木・港湾の仕事が豊富で、日雇い労働者需要が多く、その結果、例えば角打ちの酒屋さんなどは、大いに繁盛したが、オイルショック後の不景気時の横浜市当局との福利厚生や生活闘争で活躍した人の苦闘などが描かれる。そして今の状況は、独居老人が多数を占める現状や、女性の増加など、日本経済の縮図のような状況になっているドヤ街の様子を描く。

ドヤ街には結構高学歴の人や、かつては羽振りの良かった人など、多種多様な人が暮らし、ほとんどが生活保護で暮らす老人が多い。また、寿町の福利厚生や医療などで貢献してきた代表的な人物も、やはり高学歴の人が多く、私利私欲を捨てて貢献している姿には頭が下がる思い。

私が特に印象に残るのが、寿共同保育の理念。そこにあるのは「家族単位の生活を解体」し、自分の子供も他人の子供も同等に扱うというもの。この共同保育に関わった金子祐三さんと亘理あきさんのご夫婦。いずれも大卒エリートだったが、学生運動時代の体制批判的な思考が忘れられず共同保育に関わる。しかい、アキさんは早逝し、祐三さんも離れていく無念の姿。

たくさんの人が登場して、それぞれの人が自分の歴史を持ち、今も何らかの形で貢献している姿は、お金第一の風潮には抵抗する姿を思い浮かべるのであった。

今日はこの辺で。

古矢永塔子「ずっとそこにいるつもり?」

古矢永さんの小説は初めて読みますが、確か朝日新聞の書評欄に載っていたので、図書館に予約しておいたと思われる作品。5編からなる短編集ですが、大変味のある作品ばかり。

  • あなたのママじゃない:弥生さんは友樹さんと大学の映研で知り合いその後結婚。弥生さんは一般企業に就職したが映画関係の仕事が諦めきれず、小さな関係企業に転職し、夜昼ないような長時間労働で頑張る。友樹さんは大卒後も諦めきれずフリーのカメラマンの傍ら家電量販店でアルバイトの身。友樹さんが主夫として家事をやっているような形の夫婦。話の中で、盛んに役所に行った?僕が行こうか。私が行くよ。それと、引っ越しの整理がどうのこうのと言った会話が出てくる。これが暗示しているのだが、私のような鈍感な輩にはわからない。途中弥生さんが友樹の母親と仲良くなる場面もあり、いい関係なのかなあとも思うのでが、実は役所というのは離婚届けのこと。結局友樹さんは、妻が嫌いになったわけではないが、一緒に暮らすことが息苦しくなっていた。アルバイトから正社員に転じたのを機会に、離婚を申し出て、次の結婚記念日までは一緒にいることにしていたのだった。
  • BE MY BABY:健生さんは大学4年生で就職先も決まっていて、帆乃花さんという恋人もいて、帆乃花さんからは就職後一緒に住まないかと言われている。健生は、高校生までは母に育てられたが、大学時代はアルバイトをして学費や生活費を全て賄っていたしっかり者。そんな健生のアパートに美空という女が訪ねてきて暫く住みたいと言い出す。美空さんは誰なのか?池袋時代に同居していたというヒントはあるが、若い恰好をしていることぐらいしか教えてくれない。「大学入学式用のスーツに袖を通す前に、礼服を着ることになる」もヒント。まだわからない。最後、美空が妊娠していること、帆乃花さんが健生と美空さんが一緒にいるところを見て「おばさんじゃない!」と言って去っていく場面で漸く、美空が健生の母親で、美空がブラジル人と結婚したことが判明。
  • デイドリームビリーバー:峯田太郎さんは漫画家ながら8年間もブランクが続く。かつて高校生時代に東と出会って、東がストーリー、峯田が作画担当として売り出したのであるが、東が突然いなくなってからは、作画のアルバイトでぎりぎりの生活をしている今日この頃。そんなある日、東が施錠してある峯田の部屋に現れ、ストーリーをああしろこうしろ、主人公の少女の名前はサエコだなどと言い出す。これが夢か幻か。

突然話が飛んで佐藤サエコさんが登場し、禄でもない旦那からDVを受ける場面に。サエコさんは夫を突き飛ばして家を出て実家に帰り、その実家は東さん。私のようなジェンダーフリーに疎い人間には、東さんを女性としてみる目がなかったのですが、その物言いなど男っぽい表現につい騙されました。古矢永さんは前作でも騙されましたが、どこかに騙しのヒントがあることはあるのですが、そのだましのテクニックはさすがです。

  • ビターマーブルチョコレート:近森朱里は3歳の娘を連れて久しぶりに実家に帰る。母親が手を骨折したということで、夫からも薦められて帰る。実は夫婦の間にはぎくしゃくしたものがあった。朱里は結婚に際して母のことを看護師と嘘をついていた。夫の実家と釣り合わないことを卑下してもいた。実家に帰った朱里は、幼馴染ながら仲の悪かった団地の隣に住む真琴に出会う。真琴は勉強もでき、いい会社に就職していたが、親の介護があって仕事をやめ、実家の団地に帰っていたのだ。今は両親とも亡くなって、引きこもりのような生活。そんな真琴が朱里に声をかけ、朱里のことを年寄りのように覇気がないことをはっきり言う。高校生時代、朱里は真琴がいじめられているのを助ける立場で、今は逆転していることに気づく。真琴の言葉に刺激を受けて、夫や具父母へのへりくだりをやめることを決意する。
  • まだあの場所にいる:杏子さんは37歳の女子高の教師。出身高校に何とかコネで入って2年B組の副担任を勤める。副担任は若い担任教師の指導役。2Bのクラスに美月という少女が転校してきて、クラスで一番かわいいと言われるが、いじめ役の生徒と仲良くなる。その生徒は美月のことをかわいいと言って仲間にする。杏子さんは二人の関係を心配する。美月をいじめるために近づいていることがわかるからだ。杏子さんは同じ高校の卒業生だが、当時は今より30㎏も太っていて、いじめられていたのだ。終盤で分かることだが、美月は杏子さんと同じく太っていたのだ。だから生徒が杏子さんをダンスの仲間にすることを心配していたのだが、美月は杏子さんとは違い、もっと強い少女であった。彼女は堂々と学園祭で踊りまくって、可愛い生徒を追いだすようなパフォーマンスをしてくれるのだった。杏子さんは自分と同じ境遇と思って同一視していた自分の間違いにようやく気付く。

 

本作の5編とも古矢永さんの騙しのテクニックがどこかに隠されていて、どの時点で探り当てることができるかが、読者の能力でもあるのだが、鈍感のわたしはすっかり騙され、最後に気づくのがやっとでした。

今日はこの辺で。

長岡弘樹「119」

読んで字のごとく、消防署の消防士を主人公とした短編作品。8作が収納されていますが、主人公はそれぞれ違う物語になっている連作短編。とある都市の消防署の分署を舞台に、そこで活躍する消防士の物語。

  • 石を拾う女:漆間分署の救急班の指令を勤める今垣係長は、ある日石を拾って川に向かう女性が気になり後を付ける。案の定、その女性は自殺するつもりで石を拾っていた。今垣は説得して(その場面は語られないが)、その後付き合うようになる。その女性が再び薬を飲んで自殺未遂を図るが、それは狂言自殺ではなかったかと今垣は疑う。
  • 白雲の敗北:マンションの2階で火災が発生し、栂本係長の先導で土屋が305号室に救助に向かう。そこには男性が倒れており、救出したものの病院で死亡。救出中に土屋は栂本が現金をポケットに入れた場面を目撃し、不正を疑う。しかし、栂本が入れたのが死んだ男性の楽譜だったことがわかり、土屋は敗北。
  • 反省室:年休中で野鳥観察に来ていた女性消防士の安華は、強風の中、民家のそばで焚火をしていた男を発見し、その男の下に走る。間に合わず火が延焼し、一人の少年の命が奪われる。男はその少年に性的ないたずらをしていていて、故意に少年を殺そうとしていたことが発覚する。
  • 灰色の手土産:しょうがっこうから“命の大切さ”をテーマに講演してほしいと頼まれ、中堅になりつつある大杉が講師となり、最近あった犬が弁護士にかみついてけがをした事例を参考に、自分がブラジルにホームステイで行っていたころの、犬が人にかみついたエピソードを話す。大杉を指名した今垣は、その話を後に小学校の新聞で知り、一つだけ奇妙な嘘を発見する。最近あった犬の事件には今垣も行っていたが、そこに奇妙な嘘があったのだ。
  • 山羊の童話:今よりひどい環境に身を置けば、現状がいかに楽かがわかるという童話の話を失業した友人に話していた垂井が、その友人を助けられず死なせてしまったことを悔やみ、自分も死のうと覚悟するが、今垣はそれを読み取って彼を思いとどまらせる。
  • 命の数字:消防局の栂本は、父親に普段の防災グッズについてしつこくアドバイス。父親は空返事で対応。その父親に同じ年配の友人から棚の異動を手伝ってほしいとの依頼。友人の自宅に赴き手伝うが相当の重量物。父親がトイレに入っている最中に、友人が一人で作業していた時、棚が傾いて友人は下敷きに、父親はその棚が妨害してトイレから出られなくなる。父親は携帯を首にぶら下げておくようにという忠告を無視したことに後悔。しかし、彼はトイレの扉を壊し、更には5m先の電話の受話器を何とか外し、口から発する音で119番通報する。これは彼が音楽教師をしていた中で身に着けた特技だった。
  • 救済の枷:和佐見市の姉妹都市である何べきコロンビアの町に技術指導に来た猪俣は、ホテルに帰る途中誘拐される。4日間の誘拐監禁中に、誘拐犯たちは警察当局と交渉していたが、彼らは捕まった。猪俣は手錠をかけられていたが、彼は自分の骨を骨折させて手錠から手を抜き脱出。これを見たバスケスという現地の教官は、猪俣がコロンビアに何かしらの自責の念を持ってきたことを見抜いていた。猪俣は自分の部下を死亡させていたのだった。
  • フェイスコントロール:土屋は同期で親友の大杉が退職するしたことで、大杉に手紙を書く。その内容は、土屋が総務課長の渡貫にパワハラを受けていたこと、その渡貫の引越しの手伝いを大杉がしていて、たまたまそのマンションが火災になり、出火元の上階であった渡貫の部屋にいた大杉が渡貫をクローゼットに押し込み、自分は土屋のはしご車に救助されたが、渡貫は死亡したこと。その中で何があったかを、今垣が大杉の表情で気づいていたことを記したのだった。渡貫の土屋に対するパワハラを止めるために、故意にした行為だったことを。
  • 逆縁の午後:ある土曜日の午後、吉国勇輝という消防士の殉職したことに対するお別れの会が開かれる。そこで父親が勇輝の思い出を語る。息子には恋人がいたこと、優秀な消防士で、転落が信じられないことなど。一方で父親の自分は今若い女と付き合っていることも冗談交じりに話す。会が終わった後、今垣は土屋に、勇輝の恋人はその火事で亡くなった27歳の女性で元消防局にいたこと、その女性の部屋にいたのが父親であること、それに気が付いた息子は自殺したのではないかという推理を。この話が最も怖い内容でありました。

消防署の人間模様を中心に、9編の短編が織りなす社会の縮図のような物語をうまく構成している作品でありました。

今日はこの辺で。