山田清機「寿町のひとびと」

寿町は日本三大ドヤ街と言われる、横浜市にある簡易宿泊所街である。大阪の西成(あいりん)、東京の山谷と並び称される、私自身は大阪と東京にドヤ街には行っているが、寿町はまだ足を踏み入れたことがない。山谷はそれほどのカルチャーショックはなかったが、大阪の西成ドヤ街は、かなりカルチャーショックを受けた覚えがある。いずれの街も、都会の真ん中にあり、寿町も最寄り駅が関内や石川町で、中華街も至近にある、いわば一等地の中に存在するちょっと変わった一角である。

本書「寿町のひとびと」は、ノンフィクションライターの山田清機氏が、実際に街の中に入り、「ひとびと」にインタビューして、この街の成り立ちや、そこで中心的に日雇い労働者やホームレス(野宿者)など、底辺の人達のために活躍した人々を描きながら、変貌していく寿町の姿を描いていく。

オイルショックまでの高度成長時代までは、土木・港湾の仕事が豊富で、日雇い労働者需要が多く、その結果、例えば角打ちの酒屋さんなどは、大いに繁盛したが、オイルショック後の不景気時の横浜市当局との福利厚生や生活闘争で活躍した人の苦闘などが描かれる。そして今の状況は、独居老人が多数を占める現状や、女性の増加など、日本経済の縮図のような状況になっているドヤ街の様子を描く。

ドヤ街には結構高学歴の人や、かつては羽振りの良かった人など、多種多様な人が暮らし、ほとんどが生活保護で暮らす老人が多い。また、寿町の福利厚生や医療などで貢献してきた代表的な人物も、やはり高学歴の人が多く、私利私欲を捨てて貢献している姿には頭が下がる思い。

私が特に印象に残るのが、寿共同保育の理念。そこにあるのは「家族単位の生活を解体」し、自分の子供も他人の子供も同等に扱うというもの。この共同保育に関わった金子祐三さんと亘理あきさんのご夫婦。いずれも大卒エリートだったが、学生運動時代の体制批判的な思考が忘れられず共同保育に関わる。しかい、アキさんは早逝し、祐三さんも離れていく無念の姿。

たくさんの人が登場して、それぞれの人が自分の歴史を持ち、今も何らかの形で貢献している姿は、お金第一の風潮には抵抗する姿を思い浮かべるのであった。

今日はこの辺で。