広島・長崎の日

61年目の広島・長崎の日が過ぎました。一瞬のうちに数十万人の命を奪った原爆の悲劇は、何年経っても語り継がれなければならないことです。しかし、時は否が応にも経過し、次第に記憶が風化していくのは必然です。原爆被災者は数少なくなり、語り継ぐ人も当然少なくなっています。そんな中、靖国問題憲法改正問題が政治課題となり、日本の今後がどうなるのか?大変心配している人もいます。
今日、小泉総理は長崎での減額慰霊祭の後記者の質問に答え、8月15日の靖国参拝を示唆しました。私は5年間の小泉政治はそれなりに評価する人間ですが、靖国参拝だけは納得しません。今日も「公約は守らなければならない」と発言したそうです。しかし、もう辞める最後になって終戦記念日での参拝という公約を果たして何の意味があるのでしょうか。彼の場合は、既に意地で参拝しているとしか考えられないのです。一個人の意地で国際関係を悪くする権利があるのでしょうか?例え総理でもそんな権利はあるはずがありません。おそらく小泉さんが15日に参拝したとしても、国際社会は辞める人の行為として重視はしないでしょうが、できればお辞めになってから、毎日でも参拝されたらいかがでしょうか。
広島・長崎の被災者のみならず、東京大空襲や全国各地の空襲で亡くなられた方や負傷された方はたくさんおられます。総理は、そういった方へのお参りもしなければならないと思います。A級戦犯が合祀された神社にお参りすることは、戦災でなくなられた方を無視する行為にも写ります。これは日本人が見てもそうなのです。
小泉さんの5年間の参拝は、維持の参拝でしかなかったと思うのですが、いかがでしょうか。
今日はこの辺で。