アメリカドキュメンタリー「殺人者への道」

この週末、久しぶりにNetflixのドキュメンタリーにはまり、外出自粛の期間を有効に使うことができました。

Netflixの高品質なドキュメンタリーには頭が下がりますが、この作品「殺人者への道」のスリリングな展開は、いかなるドラマより見せてくれます。第1シリーズ10話を2日間で観終わり、明日以降に第2シリーズ視聴となります。

ティーブン・エイブリーは22歳の時婦女暴行事件の犯人として逮捕され、18年の実刑を刑務所で過ごす。彼は無実を主張し続けたがために18年の刑の満期間まで、仮釈放できなかったのですが、満期釈放後真犯人が現れ、冤罪が晴らされる。彼は州警察、保安局、検察を相手取って30億円以上の賠償を提訴。ところが、若い女性の殺人事件の犯人として逮捕され、終身刑の刑を言い渡され、今現在も兼務所に収監される身である。

物語は、いかに証拠が捏造された可能性が強いか、同時に逮捕された16歳の甥を共犯者としてでっち上げられたかを、裁判場面を中心に見せてくれるところに臨場感があります。アメリカにおいては、裁判が公開されることでこういうドキュメンタリーが作れるのが日本とは違うところ。

日本の裁判が99.9%の有罪率で、冤罪の可能性が大きいといわれるのですが、アメリカの裁判制度も、このドキュメンタリーを見る限り、非常に怪しい法制度です。

アメリカの陪審制が進歩的という指摘もありますが、この事件で言うと、12名の陪審員の選び方が非常に大きなウェートがあること、最初から有罪と信じてしまっている、あるいは警察や検察が不正を行うはずがないと信じている声の大きな人を説得することが非常に困難であり、結局そういう声の大きな人に評決が引っ張られる可能性が強いことを感じさせます。アメリカ映画の傑作「12人の怒れる男」で、ヘンリー・フフォンダ演じる陪審員が、偏見に凝り固まった他の陪審員たちを理詰めで説得していく場面が中心ですが、彼がいなければ、簡単に有罪の評決に至っていたでしょう。それが陪審制の限界でもあります。

そして判事の偏見性というか、自分の判断を変えない姿勢も見受けられます。

日本の再審制度も非常にハードルが高いと言われますが、アメリカも同様なことがわかります。

エイブリーが真犯人でなければ、真犯人は未だほかに居ることになります。第2シリーズはどんな展開になるのか、非常に楽しみです。

今日はこの辺で。