栗原俊雄「特攻-戦争と日本人」

特攻関係書籍の第二弾は、栗原俊雄氏著「特攻-戦争と日本人」。栗原氏は毎日新聞記者で、太平洋戦争関係の書籍を何冊か書いている方。本書は、海軍・陸軍の戦闘機による特攻や人間魚雷「回天」や特攻専用航空機「桜花」、更には戦艦大和以下の艦隊特攻の由来や成果、主に追い詰められたがために、今考えるとバカバカしい限りの特攻武器を作り、戦闘員を犠牲にしていった経緯を描いています。

特攻が命令であったのか志願だったのかは今でも議論が分かれるところですが、栗原氏はほぼ命令であったことを生存者の証言などから説明しています。その命令した側の上官たちは、戦後一貫して志願だったと言って、ご本人は生き延びるのですが、参謀本部で「桜花」なる爆薬満載の特攻機が作られていった経緯などの歴史的経緯からも、命令ありきであったことが明らかです。

「桜花」のバカさ加減は、なぜこんなものが採用されたのかが疑問です。特攻の戦果については、海軍最初の「敷島隊」が小規模空母を撃沈したことから、その効果を軍が過大視し、それを天皇にも報告し、当時の新聞も大々的に報じたことから、更なる期待を持たれ、被害が拡大していきました。米軍はレーダー網の整備でほとんどの特攻機を事前に爆撃して墜落させ、特攻の戦果はどんどん少なくなっていきますが、その事実を明らかにせず、命令によって被害が拡大していきます。そんな中、自身が飛行能力がないため親機に吊るされた状態の桜花は、その重さにより親機自体の速度も落ちるため、撃墜される可能性が高くなるのは目に見えています。しかしこんな特攻機を採用する当時の司令官たちの選択には、もはや勝利など頭になく、天皇向かってこれだけのことはしましたという態度を示すパフォーマンス以外の何ものでもありません。

イスラム過激派の自爆テロを今の日本人は考えられない暴挙ととらえますが、戦争中には日本人も同じことをしてしまったということを忘れてはいけません。ドイツでも特攻のような自爆攻撃は最後までありませんでした。ドイツの戦争指導者たちは、戦後アルゼンチンに逃げたとしても、その追求はやみませんでしたが、日本の戦争指導者は、天皇を筆頭にそのほとんどが冷戦の恩恵を受けて、その罪を逃れました。戦後復活した自衛隊の幹部になった指導者もいます。彼らの中には「冷戦様様」を公言する人もいたとか。

私たちは、特攻のバカさ加減とともに、それを生み出す戦争を憎悪しなければならないとつくづく思いました。

今日はこの辺で。