安倍晴彦「犬になれなかった裁判官」

「渋々と支部から支部支部めぐり、四分の虫にも五分の魂」

裁判所の世界で、その思想的背景から処遇が冷遇され、地裁、家裁の支部で所長や総括裁判官をすることなく裁判官人生を送った安倍晴彦氏著「犬になれなかった裁判官」読了。刺激的な標題ですが、現役裁判官に読んでもらいたい書籍です。

戦後の新しい憲法下で裁判官になり、「裁判官の自由と独立」、「憲法擁護」の立場で裁判官としての職務を遂行したがために、それが最高裁事務総局に目を付けられ、地家裁の本省ではなく支部に長く配属され、人事面で冷遇された阿部氏。東大法学部を出た方で、順調なら高裁判事には最低なっていたのでしょうが、いわゆる官僚裁判官になり切れず、言い換えれば最高裁の望む裁判官にはなり切れなかったがために、生涯支部の一裁判官で過ごした方。このような良心に従った裁判をする裁判官を刑事事件などで活躍する機会を奪ったことは、冤罪を簡単に作ってしまう裁判所の体質を少しでも是正する機会を失ったことでもあり、極めて淋しい限り。

今の裁判官が毎年200件~400件の事件を抱えている現実は是正しなければならないが、特に否認事件においては、警察・検察の調書を疑ってかかる必要が必ずあるはずであるが、安倍氏のような裁判官がいると、スピード重視、時の政権重視など、官僚的裁判を是とする最高裁事務総局にとっては、目障りなのでしょうが、国家的損失でもあります。

有罪率99.9%と言われる日本の刑事裁判ですが、これを疑わない裁判官が本当にいるのか?裁判官は本当に良心に従って判断しているのか?私が思うには、今の最高裁の方針には多くの裁判官が疑問を持ちつつ、わが身可愛さで従わざるを得ないという、忸怩たる思いを抱いているのではないか。冤罪が晴れて無罪になった裁判で、過去に有罪を下した裁判官で、無罪確定後正式に謝罪なりした裁判官はほとんどいないはず。内心では後ろ暗いはずですが、身分的に安倍氏のような処遇を受けたということも聞きません。逆に袴田事件の一審の合議で無罪を主張した裁判官が、裁判官をやめ、その後不遇だった話があるくらい。裁判官も人間ですから間違うことは当然あるでしょうが、いい加減な裁判をして冤罪に追いやり、雪冤したときには、頭を下げるくらいしてもよさそうなもの。

かつて青法協という、司法を良くしようとして活動した任意団体に所属したがために最高裁に睨まれ、脱退を促されたにもかかわらず信念で脱退せず、それがために周りの裁判官から声も掛けてもらえなくなるような裁判所という現在の組織。私も今行政訴訟の原告として上告していますが、一審・二審とも行政側弁護士の書いた答弁書通りの判決。上告審も期待できないことが、この阿部氏の著書で確信しました。自由で民主的な立場に立った裁判官が絶滅寸前な司法の世界にあっては、何も期待できないと絶望的になりました。

今日はこの辺で。