青木理「時代の異端者たち」

ジャーナリストの青木理氏による、前作「時代の抵抗者たち」に続く第2弾のインタビューノンフィクション「時代の異端者たち」読了。

9人の勇気ある異端者ともいうべき方たちの、異端たる業績や権力への抵抗を聞き出した力作である。沖縄県知事を務め、徹底的に沖縄のために戦った故翁長雄志氏、正に異端がぴったりながら、その驚くべき博学ぶりが語られる美輪明宏氏、エリート裁判官ながら、無罪判決を30件近く出した木谷明氏、若きリベラルジャーナリストの武田砂鉄氏、恐れを知らない国境なき医師団の看護師である白川優子氏、自民党内でリベラルを貫いた政治家河野洋平氏、LGBTであることをカミングアウトし、ジャーナリストとして発信してきた北丸雄二氏、日本の防衛についての知識で右に出る者のいないジャーナリストの半田滋氏、菅官房長官に物申して左遷された勇気ある官僚の平嶋彰英氏の9人。いずれも興味深い話を披露しており、時代の流れに漫然と流れてゆくのが普通になる中、自分の考えなり行動を持つ人間の強さを感じる次第。ここでは特に印象に残った木谷明氏、白川優子氏、平嶋彰英氏について感想を述べたい。

木谷氏は東大法学部を卒業して裁判官に任官したエリート裁判官。本来であればこのような方が、高裁長官なり最高裁判事になるべき人材であるが、やはり無罪判決を多数出したことが障壁となったのか、東京高裁総括判事で退官。無罪判決を出しても、いずれも逆転有罪はなかったとのことで、徹底した証拠調べをした証左。生涯に一度も無罪判決を出さない裁判官もいるという中では画期的なことである。サラリーマン裁判官と化した日本の刑事司法の最後の砦の脆弱さを嘆くばかりである。

白川優子氏は、幼少のころに国境なき医師団の映像を見て、自分の進む道を決めたという、筋金入りの戦場看護師。そんな彼女がシリアやイラクで経験したのは紛れもなく死と隣り合わせの厳しい業務。しかし、志を同じくする同志の集まりである医師団の団結が彼女たちを奮い立たせるのであろう。オーストラリアに語学勉強のつもりで留学して日本とは比較にならないほどに良い待遇の看護師として働きながら、そこに甘んじることなく医師団に入団して戦地に赴く勇気は何処から出てくるのか。インタビューでは淡々と語るが、とにかくすごい人であるという印象しか持てない自分である。

平嶋彰英氏は、やはり東大を出て旧自治省に入省したキャリア官僚。事務次官になってもおかしくないにも拘らず、ふるさと納税の理不尽さを当時の菅官房長官にしつこく説明して逆鱗に触れ左遷された人物。官僚人事を一手に握っていた菅官房長官は自分が発案した政策の誤りを認めない狭量な人物であることが、この一事をもってしても明確に分かるのであるが、人事をちらつかせた脅しで官僚を委縮させ、忖度風土を蔓延させた罪は大きい。官僚の質の低下が深刻な中、平嶋氏のような勇気ある官僚が、今でもどこかに存在することを願うばかりである。

今日はこの辺で。

下村敦史「生還者」

下村氏が雪山登山での遭難生還者の苦悩を主題にした作品「生還者」読了。正に生還者という題名が最適のミステリー。

主人公の増田直志は、父親と同じ法曹資格を目指して大学浪人中に、兄の謙一に誘われ、ボルダリング施設に行き、兄の恋人でもある清水美月にも触発されて登山にのめりこむ。エベレスト登山隊にも参加するほどの登山家となるが、兄を超えることはできない状況。そんな兄は4年前に、美月さんと冬の白馬岳登山に行き、美月さんを雪崩で遭難させる事故に見舞われ、兄は責任を感じた形で登山から離れている。最初の生還者はその兄。

その兄が4年の沈黙を破って世界第3の高峰、カンチェンジュンガに挑み、遭難して死亡となったが、増田は遺品整理しているうちに、ザイルが不自然に鋭利なもので切られていることに気づき、生還者の高瀬に近づく。高瀬は、増田の兄を含む死亡者4人を誹謗し、一人加賀屋というパーティーの一員だけを、自分を助けた英雄としてマスコミで持ち上げていた。そこえもう一人の生還者、東が現れ、高瀬の主張を真っ向から否定する。真実はどこにあるのか?増田は、雑誌記者の恵莉奈と共に、真相をつかむために高瀬を追ってカンチェンジュンガに赴き、死と隣り合わせの経験をしながら、高瀬から真実を聞き出すのであった。

本作で描かれるのは、登山のパーティーが遭難に会い、ある人は亡くなり、ある人は生還する場合に、生還者の持つ贖罪感、すなわち自分はどうして彼氏、彼女を助けられなかったのか、自分は生きてゆく資格があるのかという心に傷を抱え、苦悩する姿である。本作での生還者は増田の兄謙一、高瀬、東、加賀屋の4人であるが、いずれも心に深い傷を負った人たち。当然に世間は死んだ人たちには同情を寄せるが、生還者にはどこか冷めた目が向けられる。特に加賀屋は山岳ガイドとして、参加者の安全を第一に守る責務があり、生還の裏にどのような事情があるにせよ、人生の汚点として大きな傷となることは間違いない。2009年、北海道の大雪山でシニア世代のパーティーが遭難した事故がありましたが、その際にもガイドがかなりバッシングにあったことがありました。ガイドが判断を誤った事例として有名ですが、常に死と隣り合わせの冬山登山では、生と死の境目はほんのわずかということ。

山岳小説は数多くありますが、本作もなかなか面白い小説でありました。

今日はこの辺で。

鏑木蓮「見えない轍」

戦後の推理小説作家というと、古くは江戸川乱歩横溝正史松本清張などがおり、現代では直木賞を獲得している東野圭吾宮部みゆき大沢在昌など、多士済々の才能豊かな人がいるのですが、読んだ作家はまだまだまず少ない。それをつくづく感じるのは、最近集中的に読んだ中山千里、伊岡瞬、下村敦史の存在を知ってから。更にたくさんの作家がいることを思うと、これからの読書人生が楽しみでもあります。

さて、今回初めて読んだのが鏑木蓮作品「見えない轍」。副題として「心療内科医本宮慶太郎の事件カルテ」とあり、本宮慶太郎シリーズがまだあるのかと思いきや、どうもこれが単作のようで、2018年に発行されているので、これからシリーズ化されるかもしれない感も受ける。

本宮慶太郎は関西の研究学園都市といわれる街に開業している心療内科のクリニック医師。開業したものの、なかなか患者が来ない状態で相当に暇であり、焦ってもいます。そんなクリニックに、高校生が患者として来診し、電車から通学時にいつも見ていた女性が、自殺したことを知ってから食事ができなくなる症状が出てしまう。その理由は、彼女が自殺した朝、同じように電車から彼女を見て、彼女がガッツポーズをして挨拶していたことから、彼女は自殺ではないと思い込み、食事がのどを通らなくなったとのこと。患者の症状をなくすことがモットーの本宮は、亡くなった女性の死因を突き止めるため、お得意の探偵根性を出して動き出す。そして彼女が勤務していた街の小さなスーパーでの仕事関係に原因があることを突き止めていくというストーリー。本宮医師は、お得意の人間の心理を読む能力を発揮して、警察が自殺と判断しているところを、事件と確信して、裏に隠されたスーパーの「賞味期限切れ」というキーワードを探り出して、意外な人物を特定することになる。誰が犯人だろうという、推理小説の王道を行くストーリー展開で、最後まで犯人が誰か、読者もわからない筋書きで、ついつい先を読みたくなる内容で、楽しめる作品。ただ、34歳の「美味しいお弁当を作る」という夢を持った女性を死なせてしまうのは残念でした。彼女と上司の女性が、最高に美味しい弁当をつくるという成功物語も読みたい気が起こりました。

それはともかく、しばらくは鏑木蓮作品を集中的に読む気も出てきました。

今日はこの辺で。

下村敦史「悲願花」

犯罪には大体加害者と被害者があり、被害者は加害者を非難あるいは恨み、加害者は被害者にひたすら謝罪するという構図が一般的。下村氏の本書「悲願花」は被害者と加害者の心情について掘り下げたストーリーを展開する。

幸子さんは幼いころ両親が借金で苦しみ、子供3人を道連れに心中を図り、幸子さんだけが生き残り、養護施設で育った経験を持つ。今も小さな工場の事務員としてつつましい生活を送るが、セクハラまがいの待遇も受け、自分に悲観し、心中を図った両親を恨む気持ちが消えない。そんな幸子さんが、家族の墓地に行った際、一人の女性、雪絵さんが倒れるところに遭遇し、彼女を助け、彼女の境遇を知ることになる。彼女は離婚してシングルマザーとなり、3人の子供を育てていたが、生活苦から子供と心中を図り、自分と長女だけが生き残るという境遇で、4年の刑を受け出所した身。幸子さんは雪絵さんに自分の両親を投影し、雪絵さんに対して厳しく接するが、それでも雪絵さんが自殺を図ろうとしたところに駆けつけ、その後も引き続き入院の面倒を見るなど関わっていく。そんな中で、雪絵さんには生き残りの長女がいることを知り、被害者として同じ立場にある娘の美香に会い、雪絵さんとの再会の機会をつくる。美香さんは母親に悪感情を抱いていると勝手に思っていたが、実は美香は母親を許していたというラスト。

途中に、被害者である幸子が、両親を借金取りで苦しめ死に追いやった郷田という金融業の男を仮想の加害者としてネットで中傷してかたき討ちのような行為をするのだが、実は郷田は幸子の父親に子供を交通事故で殺され、加害者ではなく被害者であったことを知る。幸子は郷田と再会し、自分のしたことを謝罪するが、郷田はやっと加害者から解放されたことを幸子の語り、幸子はやっと加害者と被害者の呪縛から解放されることになる。

加害者と被害者の問題は、大きな事件があるたびに話題になる。特に被害者(遺族含め)は加害者に裁判で極刑を望む記事を目にする。私刑が許されない法治国家である限り、被害者の心情としては理解ができなくはないが、ネット社会にあっては、こうした言動が加害者家族にとっては被害者となることもあり、被害者が加害者として中傷される世の中。我々は、犯罪に対して被害感情と加害感情が紙一重にあることを認識すべきかもしれない。

今日はこの辺で。

下村敦史「告白の余白」

下村作品の集中読書月間になっていますが、本日読了したのが「告白の余白」。二、三日前によんだ「アルテミスの涙」も、作品名と内容には関係性が感じられなかったのですが、本作の「告白の余白」も内容との一致が明確ではありません。それに加え、本作は社会性がなく、読後感としてはいまいち。

高知で米農家を営む一家に、家を棄てて出て行った双子の兄弟の兄の方が、突然帰省で戻り、農地の半分を生前贈与してほしいと訴える。弟が農家を継いでいるが、どうしてもということで生前贈与することになり、手続きが済んですぐに、この兄は自殺してしまう。そして遺書には、2月末までに清水京子という女性が来たら、その土地を譲ってほしい旨の遺言があることが分かる。そこで弟が京都に住む清水京子を訪ねて真相を探りに行って、そこで清水京子本人や何人かの関係者と接触して、最後は真相が明らかになるというストーリー。

まず無理なのは、双子とはいえ弟=英二が清水京子に逢って、兄=英一ですと言って、簡単にばれてしまうのが普通ではないか。しかし、英二は京子さんが英一だと思い込んでいることを信じて、ふるまうのであるが、これはいかにも不自然。更に、英二さんは米農家で、2月から5月までずーと京都の町屋に住むことになるのですが、家賃もかかるし、生活費もかかるし、肝心の農家の仕事は両親にまかせっきりで大丈夫?と心配になってしまいました。

本書の最大の特徴は、京都という町の伝統、しきたりなど、特有の習慣などを事細かに描写しているところであるが、これはある種観光案内的な要素も含んで、小説としては別の興味深さはありました。特に、京都人の閉鎖性が強調され、伝統的なお祭りへの参加条件など、古いしきたりがいかに多いかも強調されています。

一応、生前贈与と英一の自殺の謎は、何の不自然性もなく明かされますが、本書のもう一つの特徴は、登場人物の言葉へのこだわり。京子さんは、いつ英二が英一の偽物であることが分かったか、過去のセルフで英二が思い起こすところがたくさんある。そして最大の謎の言葉、「北嶋英一さんが消えて、二度と戻ってきませんように」という清水京子が書いた絵馬の言葉の意味。清水京子は本当に英一を好きだったのか、それとも嫌っていたのか、京子さんは実は高地に行って英一の死を知っていて、英二に知らん顔をしていたのか、更には、英一の生前贈与で受けた土地を金に換えたかったのか?この辺は答えが出ないまま終わるのですが、京子さんはなぞの多い人物というのが、本書の最大の謎でした。

今日はこの辺で。

映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」

3月15日、ギンレイホールにて「プロミシング・ヤング・ウーマン」鑑賞。全く予備知識なく鑑賞したのですが、中身は非常に面白い内容で大変得をした気分です。

医大で学んでいた女性キャシーは、中退して今は小さな喫茶店で働く身。なぜ中退したかは、所々の会話で、ニーナという医大の同窓生に何か事件が起きて、それが原因でキャシーも大学を辞めたことが前半でわかりますが、どんな事件かはまだ明かされません。その後、映画の展開が事件関係者をキャシーが訪ねていくものとなり、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ(IIII)と続く構成。これも脚本上なのか演出上なのか不明ですが、分かり易い構成。次第にキャシーが復讐を企んでいることが分かってきます。ニーナは、医学部の同窓生に、あるパーティーで強姦を受け自殺。キャシーが犯人の男たちに復讐する痛快劇。特に同窓生で今は小児科医になっている男性と復讐を諦め結婚しようと気持ちを切り替えるものの、その男性もまた、そのパーティーの仲間であったことが分かり、最後の復讐に立ち向かう。ただ本作では、キャシーが最後は逆に殺されてしまうのが従来の復讐劇とは違うところ。しかし、賢いキャシーは、それも織り込み済みで自分が死んだ時を想定して、証拠の映像を信頼できるⅢの男に預けていて、悪が最後は滅びることになり、胸をなでおろしました。こうした復讐劇は、観ている観客にとっては痛快です。

ついでに記しますが、昨日Netflixで観た女性の復讐劇「ライリー・ノース復讐の女神」も痛快復讐アクション。夫と幼い子供を殺された主婦が、5年間の猛烈な訓練を経て、犯人たちに復讐する物語ですが、「プロミシング・ヤング・ウーマン」とは違い、徹底的なアクション活劇で悪を滅ぼします。最後は本人も捕まるのですが、彼女に同情した刑事が鍵を渡して放免してやるところも粋なはからいでした。

同じく昨日観た日本映画「友罪」は、薬丸岳の小説を映画化。神戸連続幼女殺害事件の14歳の犯人をモチーフにして、彼が出所して工場に勤務する中で、友達や恋人もできるが、世間やマスコミは、彼が野放しになっていることを許さない、犯罪加害者への厳しい視線を描く。少年裁判で刑を終えて出所し、生きていく権利はあるはずなのだが、名前や顔を週刊誌に公表され居場所がなくなる理不尽を訴える。瑛太の演技が恐ろしいほどうまいのには驚き。佐藤浩市が、息子が犯した無免許交通事故の被害者を訪れ、ひたすら頭を下げ、息子が結婚して子供が出来ることに断固として反対する姿もまた、非常に痛々しいもの。人の命を奪うということの重大さは、全ての人生を失いかねないことを教えるとともに、罪を犯し、罰を受けてきたものを受け入れない社会への批判も、薬丸岳とこの映画は語っていました。

下村敦史「アルテミスの涙」

今年に入って高裁で2件、旧優生保護法のもとで強制不妊手術をされた原告の国賠訴訟で、旧法の違憲と損害賠償請求を認める判決が出された。障碍者が障害を理由に本人の承諾なしに不妊手術を受け、子供を持つことができなかった原告の勝訴判決であった。「除斥期間」という高い壁があったが、人間の尊厳に抵触する憲法違反の法律で除斥期間を安易に設けるのは正義・公平に欠けるという、極めて真っ当な判決で、手術を受けた人すべてに、一時金の受給の区別なく、失われた子供を持つ権利の代償を払ってほしいものです。

前段に旧優生保護法関係の訴訟判決を書きましたが、本書「アルテミスの涙」のテーマも障碍者の出産、それも寝たきりで育児ができない夫婦が子供を産むことの是非という、極めて深刻なテーマの作品であるため、参考に記しました。ちなみにアルテミスとは「狩猟の女神」とありますが、内容との関係がいまいち不明。

江花病院の産婦人科医師、水瀬真理亜が宿直室で仮眠中、外科病棟の入院患者の異変を知らされ、診察したところ、「閉じ込め症候群」の若い患者さんで、全身が動かないものの、脳と五感は正常な重篤若い女性の患者。出血の原因を調べるうちに、彼女が妊娠していることが判明。彼女が入院してからの妊娠のため、何者かにレイプされた可能性しかなく、犯人探しが始まるのだが、本人とのコミュニケーションができないまま、ついには催眠療法で犯人が担当医の高森医師と判明。高森は逮捕されるが、何の弁明もせず黙秘する。真理亜は文字盤と目のぱちくりで何とかコミュニケーションをとることに成功し、妊娠の真実を語り、全貌が明らかになる。親に結婚を反対され、中絶までさせられて、二人で心中までした彼女は、親に不信を持つ女性患者。それでも親は中絶をさせるため転院まで画策。確かに生まれてきても自分では育児ができず、旧優生保護法のような非人道的な法律がなくとも、中絶は普通の選択。しかし、障害を負って育てられなくても、生きている証として、愛する人との子を残したいという気持ちは絶対のものでしょう。それを教えてくれる感動作でありました。

今日はこの辺で。