イスラエル映画「声優夫婦の甘くない生活」

珍しいイスラエル映画「声優夫婦の甘くない生活」を、武蔵野館で鑑賞。

時は1990年、ソ連崩壊の近づいた時期に、ソ連からイスラエルに移住した熟年夫婦が、ロシア語の声優の仕事を見つけるが、なかなか仕事が見つからず、まず妻がテレフォンセックスの仕事にありつく。旦那はビラ配りのような仕事しか見つからずイライラが募る。60代の夫婦であるが、奥さんはそれなりにかわいい顔をしており、夫に抱かれてもらいたいのに、旦那はそれを拒絶するばかり。そんな夫婦の甘くない生活を描きながらも、イスラエルという中東の国の中でガスマスクが必要な時を想定した緊張感もある中、コメディータッチの作品に出来上がっている。最後は物騒な空襲騒ぎが起こる中、旦那が奥さんを必死に探してガスマスクを届け、二人の気持ちが重なるところでエンド。

ユダヤ人にとって、祖国に帰ることが最も安らぐのでしょうが、その生活はそんなに甘くないのは現実。それでもそんな世界中のユダヤ人を受け入れているイスラエルという国のすごさは計り知れない。

今日はこの辺で。

浅田次郎「大名倒産 下巻」

浅田次郎先生の「大名倒産 下巻」読了。上巻では、隠居した仙台お殿様の計画倒産陰謀に気づいた当代お殿様が、江戸から領地の越後丹生山に駆け足で戻るまでを描きましたが、下巻はいかにして倒産を防いでお家を復興させるかのハイライト。上巻以上に期待したのですが、当代お殿様の活躍場面が少なく、七福神やら死神がやたらのたくさん出てきて、神頼み的なお家復興の様相が強く出ていたのは残念。それでも、浅田先生のユーモアのセンスと、稀代のストーリーテラーは薄れたとは言いませんが。

先ず復興の一助として出てくるのが、国家老の二家がため込んだ5,000両の寄進。3万石の大名で、国家老一家に3,000石、合わせて6,000石は大きな取り分、200年以上続けば相当の貯蓄ができるでしょう。幕末の一石は約1両、現在価値で75,000円程度で計算すれば、3,000石は225,000千円、かなりの金額。5,000両を寄進するとなると375,000千円。丹生山家の借金が25万両ということは、187億円の借金があったとはすごいもの。

次に出てくるのが殖産興業で、当代殿様の育ての親である間垣作兵衛が行った鮭の塩引き。絶品のお味ということで、江戸で2両で売れたことになっています。いかに貴重品とはいえ2両、15万円は高すぎ。したがって1両=75,000円はちょっと高すぎるので換算はいい加減。

丹生山に復活した鮭の塩引きも借金低減に貢献しましたが、いちばんは金山の発見。サルと暮らすような男が正直にも届け出てお家にとっては最高の光明。

お殿様は最後に借金している承認を集め、大口は半分返し、小口は全額返しのお沙汰。全額棒引きを覚悟していた商人たちは大喜び。めでたしめでたしのフィナーレ。でもすぐに大政奉還廃藩置県が来て、世の中はもっと大きく変わっていくのですが、小説はその前で終わったのでした。

今日はこの辺で。

日本推理作家協会編「至高のミステリー、ここにあり」

日本推理作家協会編の講談社文庫ミステリー傑作選は、7人の作家の作品を紹介。いずれも味のある作品ぞろいながら、ここでは4作品を紹介します。

横山秀夫「罪つくり」は、得意の警察もの。横山作品は、登場人物のセリフが短く、セリフ間の描写も短くテキパキしているので読みやすい筆致。夫の心臓が停止したのでAEDを使い蘇生を試みたが、蘇生ならず死亡したという事件。この事件のきっかけとなるラブホテルでの女性殺害事件も発生。鑑識と刑事のいとこが出てきて、人間関係も複雑に描かれる。結果はAEDを使った妻による巧妙な殺人事件なのですが、殺された夫の法が罪は重いと思うのですが。

三上洸「スペインの靴」は、美しい足に魅了された靴職人の異常性を描いたサイコパス的小説。名人的な靴職人の主人公は、上得意の金持ちの若い妻の足に魅了され、完璧な靴を何足も作り、喜ばれる。最後には、その女性を監禁して最高の靴を作るのですが、彼の異常性が現れるラスト。靴で悩む人も多いようですが、最高にフィットした靴を履きたいものです。但し、ストーカーはご免こうむりますが。

薬丸岳「オムライス」が最も読ませる傑作。夫を病気で亡くし、シングルマザーで一人息子を育てている看護師の女性。その子供も今は高校生となっている。患者として入院していた男と再婚して3人の生活が始まるが、この男が本性を現し、仕事を辞め、金を無心し、二人に暴力をふるうような男。3人が住むアパートが火事になり、男が焼死。息子が疑われるのですが実は・・・・。乳児や児童虐待の事件が世間を騒がせますが、旦那のほうが妻と子供に暴力をふるい、母親が子供を守れない、あるいは母親もまた子供に暴力をふるうようなケースも見られます。この小説でも、そんな女の弱さと怖さが描かれます。

なお、この小説は薬丸が生んだ刑事、夏目信人が、オムライスをヒントに解決します。

北森鴻「ラストマティーニ」は、一流のバーテンダー兼店主(ここではバーマン)の谷川の店に来た、同じく一流バーマンの香月がマティーニを注文し、その味が一流でなかったことからクレームらしきことを言ったのがきっかけで、谷川はバーマンを辞める。なぜ谷川はそんな酒を出したのか?をめぐって、香月周辺の人間がうわさ話。そこには谷川のある意図があった、というお話。この世界の職人気質を描いた作品。

今日はこの辺で。

 

浅田次郎「大名倒産」上巻

浅田次郎先生の最新の単行本?「大名倒産」上巻読了。あまりの面白さに、とりあえず上巻読了時での感想。さすがに浅田先生、とにかくストーリー設定が見事で、読ませます。

越後丹生山3万石の領主となった松平和泉守信房を主人公に、江戸時代末期の借金だらけの城持ち小大名が、先代のたくらむ大名倒産を知り、倒産を何とか食い止めようとする決意で、初めて自国領内に入るまでを描く上巻。

当代和泉守は御年21歳。彼は先代の別腹4男で、長兄が急死、次兄が頭脳不明瞭、三兄が病弱のため、急遽お殿様となった設定。先代は25万両の借金を抱えたことから、御家復活はあきらめ、早々と隠居、気ままな百姓生活を送るものの、何やら悪だくみを企んでいる様子で、家老二人をいまだに使って、お金をため込んでいる様子。当代和泉守の周辺には、おつむは悪いが天才的な庭師の次兄新次郎とその妻お初、お初の父親で名門旗本の小池越中守、和泉守の育ての親の間垣作兵衛、頭は良いが病弱の三兄の喜三郎、側近で幼友達でもある二人の若侍、更には貧乏神まで、それぞれ個性豊かな面々を配置。上巻では、江戸城中で見知った先代の行状や藩に金がないことなど、前途多難なお殿様の覚悟を、参勤交代の様子なども交えて描きます。

笑わせるのは小池越中守が参勤交代に70名の部下を連れてついてきて、越後の鮭と間垣作兵衛に感動する部分。浅田先生らしいコメディー満載のこの話ですが、いよいよ下巻では誰が活躍の中心になって御家復活をさせるのか、はたまた表題通り大名倒産してしまうのか?現代の経営学にも通じる話がこれから待っていることを想像するだけで楽しくなります。

今日はこの辺で。

北陸温泉めぐり旅行

JR東の大人の休日倶楽部パスを利用した旅行、今回初めて北陸新幹線利用したパスで北陸3県を巡る旅に、12月5日(土)、妻と出かけることに。政府は三密や移動を避けるように呼びかける一方、観光・飲食業界の景気対策として移動と三密を誘導しかねないGOTOキャンペーンを強行。言っていることとやっていることが真逆で、結果的に人間心理をリスクから遠ざけ、感染拡大を誘発している可能性があるという批判はあるのですが、旅行好きの身にはやはり大幅な割引は魅力があり、10月以来二回目のGOTOトラベルとなりました。

北陸3県、福井、石川、富山は、第一波の時はかなり感染者が出たのですが、今の第三波では全国的にも感染者が少ない地域。冬は常に曇りがちになり、海風で湿気も多く飛沫感染も少ないという説もありますが、少なくとも東京よりは安全地帯。各施設・旅館も万全の対策を取っている実態を見てきました。

初日は東京発6:28発はくたかで金沢乗り換え福井着。妻のリクエストに応えて永平寺参拝。建物内見学コースは残念ながら閉鎖されていたのが残念でした。やはりコロナの影響のようでした。昼食の手打ちおろしそば二種(そばつゆと生醤油)は絶品。

予定より早めに福井に戻り、福井城跡見学。今は県庁が建っているのですが、越前67万石の大大名で、家康の次男でもあった松平秀康の居城で、駅からも近いことから、県庁ではなく天守閣を再建していれば、福井の観光のシンボルにもなったはず。今回行った金沢城跡や富山城跡が広大な公園になっていて、建物も一部再建されていることを考えると、残念な選択でした。

初日の宿泊地は石川県の粟津温泉法師旅館。20年近く前の大阪勤務時代、社員旅行できたことがある温泉地ですが、当時はもっと栄えていた気がします。コロナの影響以前に、社員旅行などの団体旅行が減少しているのも大きな要因でしょう。「法師」は1300年以上続くといわれる老舗温泉旅館で、ギネスにも載ったということですが、ネット情報によれば、コロナ前の今年1月に運営会社が特別清算命令を受けたとのこと。運営は引き続き関連会社がしていますが、こうした老舗旅館も、苦しい経営状態が続き、コロナがそれに輪をかけているという現実があります。

かなりの客室数を誇る旅館ですが、団体旅行が自粛されている中、頑張ってほしいものです。老舗旅館らしく、サービスや食事、お風呂には満足しました。

二日目の観光地は金沢。当日は日曜日で、GOTOの影響もあるのか、金沢は観光客で賑わっていました。私は何度か来ていますが、妻は初めてということで、まずは兼六園見学。見事な庭園は文句の言いようがなく、隣の金沢城武家屋敷町と観光。武家屋敷町で昼食を取ったのですが、ここでハプニング。前に一人でビールを飲みながら食事していた中年男性が、食べ終わってから突然注文していないものが出てきたというようなクレームを大声でがなり立てたのです。お店の方は平謝りでしたが、「右翼を馬鹿にして」というようなことを言っていたことから、嫌がらせだったのか。金沢市内でも右翼の宣伝カーが演説していましたが、自ら右翼と名乗ること自体、おかしな男でした。

ここから更にハプニング。それは私のタイムマネジメントの失敗なのですが、昼食のお店を出て、香林坊からバスで金沢駅に向かったのですが、道はかなりの渋滞で信号待ちばかり。和倉温泉行きの特急列車に間に合うかどうかぎりぎりの時間。何とか特急の出発時刻前に駅に到着。私が全速力で預けていた荷物をコインロッカーに走って取りに行く最中に妻が私を見失い、離れ離れに。駅改札から携帯で呼び出し何とか妻と出会い、電車発車前1分弱でぎりぎりセーフ。己を恥じた一瞬でした。

二日目の宿泊地は、憧れの和倉温泉「加賀屋別邸松の碧」。「松の碧」への宿泊にも事前に苦労がありました。折角のGOTOトラベルなので、一度は「加賀屋」に泊まりたいということで、本体の「加賀屋」を楽天で申し込んだのですが、申し込んだ当時は東京発着が該当外の時期。その後10月から東京も対象になったのですが、一度キャンセルしないと対象にならないのが楽天でした。ただ、JTBは契約済みのものも対象になるという理不尽な扱い。GOTOトラベルは、実質的にJTBが取り仕切っていたという証拠のようなもの。そして、楽天を取り消すと加賀屋の部屋は予約できない状況にありました。JTBの店舗に行ったり、加賀屋に電話したりと、あらゆる手立てを探しましたが、本店への宿泊は困難。そこで、JTBで格安の「松の碧」を予約した次第。

同じグループなのでサービスは同じ。中学生以下の宿泊不可という、大人の旅館でもあり、大いに日本一のサービスを満喫しました。前日宿泊の「法師」はかなり建物も古かったのですが、部屋の広さは15畳+寝室(ツイン別途)+前室と、かなり広かったのですが、こちらはコンパクト。それでも十分な広さとツインベット。アメニティーは一品一品が格段の品質。バスタオルは使い放題。新聞は部屋に常備、翌朝は配達。そして何より従業員のサービスが徹底されていること。相当な教育の賜物でしょう。GOTOトラベルは高額旅館の恩恵が大きいと言われますが、確かにDOTOがなければなかなか私のようなものは宿泊できない旅館であり、いい思い出になりました。

なお、チェックイン時にまたもトラブル発生。地域共通クーポンは今までは全て紙ベースだったのですが、るるぶは電子クーポン。私はてっきり紙と思っていたのですが、担当の若い女性従業員の方に言われどっきり。それからスマホを取り出し予約メールからクーポンを獲得しようとするのですが、ログインできず大汗。結局部屋でその女性に教わりながらなんとかゲット。30分以上も助けていただきました。感謝です。

時間を取ってしまい、温泉街の散策ができずじまいで妻から顰蹙を買う羽目に。それでも本格的にお茶の先生から抹茶のサービスを初めて受け、心を落ち着かせることができました。

夕食・朝食も素晴らしいもので、日本一の旅館のサービスを満喫しました。ただ、女将の挨拶か何かあるかと思いましたが、それはなく、迎えや見送りも質素なもの、過剰サービス感は感じませんでした。

翌日は和倉温泉から富山市に向かい、市電に乗って岩瀬浜へ。展望台に上り、その後歴史的町並みを散策。昼食は「御休処 政太郎」で「白海老かき揚げ丼セット」。富山湾名物白海老のてんぷらは絶品のお味でした。

さてここからが再度のタイムマネジメントミス。妻は三日目に帰宅するため、新幹線指定席を予約済みだったのですが、その時刻を私が勘違いしており、市電が間に合わず。またもや面目丸つぶれ。今の新幹線は自由席の方が空いているので40分待ってもらい次の新幹線で帰ることに。私は次の宿泊地「氷見温泉郷」に向かいました。

富山から高岡経由氷見温泉郷へ。10年ほど前に来たことがあるのですが、その時宿泊した旅館がいまいちでしたが、今回は評判のいい「うみあかり」という旅館。旅館と言っても建物はホテル。氷見駅から送迎車で旅館へ。送迎車の運転をされたのは女性で、いろいろと話をしてくれました。特にコロナについては、先に述べたようなことを教えてくれました。4~5月は休業を余儀なくされたようですが、その後はGOTO以前から客足が回復傾向で、お忙しいとのこと。その言葉通り、月曜日ながらお客さんが多いのに驚きました。特に若い方も多く、人気旅館のようです。お風呂は外に岩風呂があり、白濁のお湯に野性的な岩の配置で、いい湯でした。また、建物内の大風呂と露天風呂からは海が見渡せるロケーション。そして、食事がこれまた最高で、海の幸を堪能しました。この日は一人なので、海側のカウンター席での食事でしたが、晴れていれば最高なのですが、夜から翌日はあいにくの雨。

翌日はそんな雨の中、道の駅に立ち寄り、旅館でもらった氷見市独自の買い物クーポン2,000円分と地域クーポンの残り1,000円を使い海産物商品購入。氷見市のクーポンは、宿泊5,000円以上1,000円、10,000円以上2,000円分。各地方が経済振興で工夫していることがわかります。購入後はリュックサックが満杯でかなりの重量。

富山に戻り、最終日の目的地は八尾。おはら風の盆で有名な古い町並みに足を延ばすこと。リュックはコインロッカーに預け、高山線越中八尾駅下車。10年前にも来たのですが、これほど遠かったかと思うほど歩き、やっとも目当ての街並み「諏訪町通り」へ。雨の中で、見かけるのは地元の数名。こうした古い町並みを残していくことは、建て替えもままならない中、住民の方はどうしているのか気になるところですが、聞く当てもなく時間に間に合うように氷見駅まで戻る。今度は余裕のある時間で、逆にもう少し街並みをゆっくりすればよかったと後悔。

岩瀬海岸近くの海鮮問屋のある街並み、そして八尾の諏訪町通り、いずれにも地元金融機関である北陸銀行富山第一銀行、富山信金などの金融機関が店を連ねていました。

氷見から富山に戻り、最後の1時間で富山城跡を見学、4日間に及ぶ北陸旅行は終わりました。

今日はこの辺で。

麻生幾「戦慄 昭和・平成裏面史の攻防」

麻生幾思い浮かぶのが「外事警察」。公安や危機管理の題材を得意とする作家ですが、本書「戦慄 昭和・平成裏面史の攻防」はノンフィクションで、戦後の大事件の裏側をきめ細かに描いたもの。1956年生まれの私にとっての未知な事件は「下山事件」だけですが、各事件の裏には何が隠されていたのか、実際の修羅場はどうであったのかを知る上で貴重な作品でした。

本書の順番ではなく、年代順に追っていきましょう。

1949年「下山事件50年目の解決」

最近旧国鉄の方との交流があり、終戦間もない国鉄三大事件について知る機会がありました。まず下山事件があり、その後「三鷹事件」、「松川事件」という大事件が同じ1949年に発生します。世界は米ソの冷戦が始まり、中国共産党が内戦を制し、中華人民共和国が成立した年で、翌年には朝鮮戦争が勃発するという微妙な都市。日本を占領していたアメリカにとって共産主義勢力が最大の脅威となり、日本で活発化した左翼運動への弾圧も始まる時期でした。そんな中で起きた3つの事件は、いずれも容疑者として共産党員が浮上します。しかし事件は客観証拠が何もなく捜査は迷走。三鷹事件松川事件は多くに死者を出した事件で、容疑者には死刑判決が出るものの、三鷹事件では単独犯で非共産党員の竹内氏が獄死、松川事件では共産党員が上告審で無罪判決。この二つの事件は、未だにGHQ陰謀説が飛び交います。そして、結局犯人が挙がらず、大量解雇に思い悩んでいた下山国鉄総裁の自殺として処理された下山事件。本書では他殺説が主流であった警察の聞き込みで目撃証言が得られたことで自殺となりました。

 

1972年「あさま山荘攻防戦の亡霊たち」

現在の長野県佐久市に住んでいた私にとって、19722月、中学3年生だった私にとって、軽井沢で起きたあさま山荘事件は、学校から帰ってすぐにテレビにかじりついて見た思い出が残っています。時に最後の警官突入時の鉄球で壁を壊す場面は印象に残る場面。この事件については、若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」などで映像化もされ、特にこの事件以前の総括と称する、仲間をリンチで殺していた事実が余計に事件の悲惨さを象徴的にしましたが、更にはその後に日本赤軍が起こしたクアラルンプールのアメリカ大使館占拠事件で超法規的に坂東國男が出獄するなど、尾を引きました。

三菱銀行事件もそうですが、人質事件は厄介なもの。一人人質となった管理人の女性は、9日間も耐え忍びました。但し、三菱銀行事件の梅川と違い、人質を殺害することは考えていなかったのは事実のようです。また、当時の警察庁長官後藤田正晴は、籠城犯人を生け捕りにせよとの言明を下していたとのことで、警察も苦労したでしょう。この事件で亡くなったのは警察官2名と、説得を試みると言って出没した民間人1名。坂東國男の父親も事件中に自殺しています。

あさま山荘事件と、その後に発覚した大量リンチ殺人事件が発覚し、左翼運動は急激に衰退。超法規的措置で坂東國男が出獄するなど、活動家は海外に活路を見出し、中東を中心に事件にかかわっていきます。

 

1976年「ベレンコ亡命で函館空港の一触即発」

当時ソ連のミグ25戦闘機は、世界最新鋭とされその情報を西側が欲しがっていたようですが、たまたま1976年にソ連空軍のベレンコ中尉が亡命のため函館空港緊急着陸して、その後アメリカに渡るまでの日本政府の右往左往を描写します。

先ずは着陸前に正体不明機が北海道方面に近づいてきたのをレーダーがつかみ、迎撃機を飛ばすか否かで一騒動、突然レーダーから消えて函館空港に着陸して一騒動、再度はミグ戦闘機を奪回又は爆破するためにソ連軍が侵攻してくるという情報に一騒動。実戦を経験していない自衛隊憲法との問題で重機を使うか否かの選択に何ら指示がない政府の対応など、日本のリスク管理の脆弱さを示してくれた一軒として貴重な事件でした。

 

1976年「田中総理逮捕へ ついに明かされるその突破口」

佐藤栄作の長期政権後の1972年に発足した田中角栄政権。就任後には早速日中国交正常化を実現し、絶大な支持を得たのですが、金脈問題が発覚し支持率が急降下、2年間の短期政権に終わる。その後1976年にアメリカから飛び込んできたロッキード社からの5億円の闇献金問題で、逮捕されることに。首相辞任後も田中派を率いて絶大な影響力を誇示してきた田中だが、天国から地獄に落とされることになる。田中逮捕のきっかけは丸紅の大久保、檜山の両幹部の証言。これを引き出したのが吉永祐介率いる東京地検特捜部。今も語り継がれる東京地検特捜部の勲章である。それに引き換え今の特捜部は随分力をなくしたものです。こんな状態では「秋霜烈日」のうたい文句がなくばかりです。

 

1979年「三菱銀行梅川事件の地獄絵図」

1979年は私が社会人になった年で既に40年以上の昔のことながら、凄惨な事件として、そして世の中にはこんなひどい人間がいるのかと、身を震わせた事件でした。本書では、実際に人質になった方たちがどんな酷いことをされ、恐怖を味わったかを克明に描きます。犯人の梅川昭美は事件当時31歳でしたが、15歳の時、既に強盗殺人事件を起こしていた過去があったが、少年法に守られ、1年半で少年院出ており、更にはその後猟銃所持許可も受けていた。42時間の籠城中行員2名、警官2名を容赦なく射殺、更に籠城した銀行内では、女子行員を全裸にしたり、怪我をした行員の耳を同じ行員に切り取らせたりなど、想像を絶する「ソドムの市」的な行動を繰り広げ行員に恐怖を与え、行員を盾にした防御態勢を敷く。あさま山荘事件の総括・リンチ殺人も地獄ですが、この事件もまた歴史に残る地獄絵を描きました。最後は警察特殊部隊の突入で射殺されて事件は終了しますが、この恐怖を経験した行員たちには、これまた想像を絶する後遺症が残る事件でした。

 

1982年「ホテルニュージャパン大火災 妻子を分けた20分」

英国人宿泊者のタバコの火の不始末が原因とされたホテルニュージャパンの大火災。赤坂の一等地の大ホテルの火災ということで大きな話題になり、その所有者、横井秀樹を天下の悪者扱いにしたことでも有名。9階で出た火は瞬く間に延焼し、33人の犠牲者を出しましたが、横井がこのホテルを手に入れたのは家裁の3年前。しかも、対人保険が3日前に切れており、経理課長が契約継続稟議を横井にあげていなかったという不運があったとのこと。こうしたことは確かに不運だったと言えるでしょう。しかし、消防署の指導に従わず防火設備を設けなかったことや、報道陣のインタビューに「幸いにも家裁は10階と9階だけでした。一生かけても償っていきます」の「幸い」が禍となり、一斉に非難が集中。結局実刑3年の刑を受けることに。本書の内容は、消防隊員や犠牲者の厳しい消火活動や避難活動を描きますが、裸一貫で巨万の富を築いた横井氏の不運では済まされない大火災でした。

 

1993年「金丸逮捕劇の知られざる真実」

かつて政界のドンと言われた金丸信自民党副総裁。1992年に佐川急便からの闇献金事件が表面化し、東京地検特捜部は本人の事情聴取もせずに略式起訴、東京地裁は罰金20万円を命令するという、信じられない軽い処分を下した。これにはさすがにマスコミ、国民が怒りの声を上げ、検察の威信は地に落ちたと言われた。これを受けて検察も汚名返上するため、翌年に脱税事件を立件し、逮捕・起訴に持ち込む。本書では、金丸ほどの実力者にはどれだけたくさんの金が入ってくるかを、彼の証言で紹介している。中元・歳暮時に紙袋に品物と一緒に何百万、何千万の金を持ってくる会社や個人がたくさんいたこと、その金を現金で持つのは危ないので、無記名の割引債で保管していたこと。誰が持ってきたかは、相手に迷惑がかかるから言えないことなど。その金は竹下登を総理にするために多額の金銭を使ったこと、盆暮のモチ代や選挙資金に使ったなど。但し、金塊での貯蔵など、極めて私的にため込んだことは語られていない。また、奥さんと財布は別にしていたというようなことも語られている。田中派から竹下派に至る派閥支配の政治が、いかに金銭で薄汚れていたかを金丸事件は象徴的に表したものであった。

 

1995年「オウム暴発で自衛隊出動待機命令」

1995年は1月に阪神淡路大震災3月に地下鉄サリン事件が発生し、世の中は混乱の極み

の状態。地下鉄サリン事件が発生してからは、震災報道は消え去り、サリン事件とオウムの動向一色の状態となり5月の強制捜査と幹部逮捕がようやく実行された。

山梨県上九一色村のオウム拠点の捜索は、山梨県警と警視庁中心に行われたが、ここでも自衛隊の出動について焦点になった。オウムがサリンという大量破壊兵器保有する集団であり、彼らの抵抗により、捜索隊や出家信者、更には東京など大都市での報復散布により多大な犠牲が出ることを恐れたためであるが、結局サリン使用などの抵抗はなく、自衛隊は待機のみで済んだ。国内で発生した最大のテロ行為を今後の対策の糧にしているのか?甚だ心もとない気がする。

 

1996年「ペルー日本大使公邸事件 揺れた国家の決断」

ペルーの日系人は約10万人と言われますが、1996年当時の大統領は日系のフジモリ氏。当時はかなり人気があり、絶大な権力を持っていた。そして、南米などは人質事件などでも決して妥協しない国柄。それに対して日本は人質の人命尊重第一の国柄。人命のためには犯人と妥協することもやむを得ない国柄である。

この事件は約4か月間、14人のテロ犯人が71人の人質(当初はもっと多い人数、徐々に開放していた)を取って日本大使公邸に籠城した事件。たまたま日系人の大統領だから日本政府の人質優先を聞いてくれたのかどうかはわかりませんが、長期にわたり事件を引っ張ってくれたことには感謝です。その間の日本政府の対応は、いずれ来るペルー側の突撃に対してどんな対応をすべきかに集中。当時の首相は橋本龍太郎でしたが、フジモリ大統領とのやり取りでは、「とにかく人質第一」、「ペルーにはペルーの事情がある」。日本のいいところでもあり、歯がゆいところでもありますが、結果的には4か月後、極秘に掘っていたトンネルからペルー軍特殊部隊が突入し、犯人全員射殺、人質全員保護の結果。人質に一人も犠牲者が出なかったのは奇跡としか言いようがありません。

 

1999年「北朝鮮新入戦を迎え撃った緊迫の8時間」

北朝鮮の不審船が日本領海内に侵入する事件が発生した1999年の、これまた日本政府のあたふたぶり描写します。海上保安庁が一義的には追尾するのですが、自衛隊はどう対処するのか、相手が攻撃してきたら誰がどう対応するのか。ベレンコ事件の教訓が果たして生きていたのか?甚だ怪しい日本政府の対応でした。

 

大事件はまだたくさんあったのでしょうが、本書で語られる10大事件は、日本という国の脆弱さを表すとともに、2020年の現時点で直面するコロナ禍にいかにその教訓が活かされているのかを、私たちは考える必要があるかもしれない。

今日はこの辺で。

 

映画「グレース・オブ・ゴット」「パブリック 図書館の奇跡」

1128日(土)はギンレイホールにて映画二題鑑賞。

「グレース・オブ・ゴット」は、フランスのカトリック教会で起きた神父による児童虐待問題をテーマとしたドラマ。ある一人の児童性愛者の神父に少年時代性的虐待を受け、その後遺症に悩む人々が声を上げ、一人の神父と、性的虐待を知りながらその神父を同じ聖職につかせていた枢機卿を追い込んでいく。カトリック神父による性的虐待を告発した映画は、直近ではボストンのカトリック教会の不祥事を告発した「スポットライト」がありましたが、世界中の教会で発生しているおぞましい事件。

欧米における教会の権威は日本の想像を絶するものがあるようで、教会を告発することに対する抵抗は大きいようですが、一人が声を上げ、それに続いて同じ被害にあった人たちが次第に増えていく構図は「スポットライト」と同じ。地味な作品ですが、フランスだけでなく、バチカンを含む世界中にインパクトを与えた事件であり、映画であったようです。

アメリカ映画「パブリック 図書館の奇跡」は、全く期待していなかった分、印象に残るいい映画でした。

厳寒のアメリカ、シンシナティ公共図書館のワンフロアーに、ホームレスの集団が暖を求めて占拠。それに共鳴した図書館職員がそのホームレスたちをかばい、ともに行動して市の警察と対峙する。この職員もかつてはホームレスのような生活をした経験があり、ホームレスたちに暖かい場所を提供しない市側の態度に協調できず、いら立ってくる。

最後は素っ裸でホームレスと一緒に投降するのですが、ガンジー的な無抵抗主義が共感を呼ぶ場面でした。

今日はこの辺で。