永井紗耶子「木挽町のあだ討ち」

永井さんの直木賞受賞作であり、現時点での永井さんの最高傑作と思われる「木挽町のあだ討ち」読了。本作は、木挽町という芝居小屋のある町を舞台として、そこで15歳の美少年剣士が、父親の仇を討つという大きな主題を軸に、この美少年剣士があだ討ちを果たすまでの、木挽町の芝居小屋で働く人たち市井の人情噺を織り交ぜながら、否むしろその人情噺を中心に描くところに興味をそそられる作品になっている。

江戸時代当時、芝居小屋は「悪所」とも言われ、庶民が根を張って住むような場所ではないものの、同時に庶民の娯楽の中心でもあった。そんな場所に現れた少年剣士があだ討ちの許可をもらい、江戸に来て、父の仇を探しあて、無事にあだ討ちを果たすのだが、その少年剣士を助けてくれた芝居小屋に関連する人たちの証言を聞いて歩くという筋書き。

まず登場するのが幇間の一八さん。幇間はいわば呼び込みのような職で、木戸芸者とも呼ばれる。一八さんは少年こと菊之助が働きたいと知って森田座に紹介してくれる。一八が最初に菊之助があだ討ちをする身であることを知る。ここで一八さんの生まれ育ちが本人から語られるという寸法。

一八さんから紹介されたのが相良与三郎という、役者の立てを指導する侍。与三郎は菊之助に剣の技を指南する。ここで、与三郎が何ゆえに立ての指南をするに至ったのかが語られるが、そこには武士社会にあってもコネが人生を左右するという苦い苦労話がある。そして、与三郎が語るのは、菊之助が、作兵衛という仇が、実は父親に仕えていた真面目な下男で、このあだ討ちの裏には叔父の陰謀があり、作兵衛は悪くなく、殺したくはなかったという事実が語られる。

次に登場するのが森田座の衣裳部屋にいる二代目吉澤ほたるさん。ほたるさんのところに菊之助が針を借りに来たことで存在を知り、菊之助の素性を知るが、ほたるさんは菊之助を三代目のほたるにしたいとも思うくらいほれ込む。ほたるさんは、浅間山の大爆発により飢饉が発生して母親と江戸に出てきたが、物乞いのような生活の中で母親が亡くなり、通りかかった一代目ほたるさんに焼き場まで運ぶ手配をしてもらう。その後、小塚原の焼き場の爺さんの元で暮らし、爺さん亡きあと、一代目ほたるさんのもとを訪ねて、弟子入りして可愛がられた経験があり、困っている人への気遣いがある人。ほたるさんは、菊之助が仇の作兵衛の居場所は既に知っている。相手も自分の居場所を知っていると菊之助から聞いていたと語る。

次に登場するのが菊之助をしばらくの間住まわせた九蔵とその女房のお与根さん。九蔵は腕のいい舞台の小道具職人だが、無口でほとんどしゃべらないため、女房が話す展開。この夫婦には子供を失った苦い経験があり、その仔細が女房によって語られる。ここは涙なくして読めない場面。そして、ここでのキーワードは、九蔵が過去に舞台用の首を作ったということ。菊之助からは、父親が突然乱心して自分に切りかかり、それを止めようとした作兵衛と揉み合いになり、刀が父親の首に刺さってしまった。菊之助はその瞬間に、作兵衛に逃げろと言った経緯があった。作兵衛は決して悪くはなく、悪いのは家老と叔父だと話していた。

最後の芝居小屋の目撃者は戯作者の篠田金治さん。彼はもともとは裕福な旗本の次男坊で、婿入り先も決まっていたが、いろいろの経緯があって芝居の作者となる。時がたって、金治さんのところにかつての許嫁であったお妙殿から手紙があり、菊之助が家老や叔父の陰謀によりあだ討ちを企てられ江戸に向かった。菊之助には金治さんを訪ねろと言ってあり、あだ討ちはしなくてもよいので、帰ってこなくてもいい、との内容。元々は武士であったが、その武士を捨てた金治の人生も語られる。そして金地が大きな芝居を仕込むことになる。ちなみに、あだ討ちは武士のみに許され、仇を見つけ討たなければ故郷に帰れず、仇であるという証拠も必要とされていた。

最後の章では、菊之助が江戸であったあだ討ちのすべてを語る。あだ討ちは芝居小屋の前の賑やかなところで果たされ、菊之助は確かに作兵衛の首を取ったことが目撃されていたが、それらはすべて本作に登場した人情深い人達の協力の元、作兵衛を殺すことなく行われた大芝居であった。勿論作兵衛の首は九蔵が腕を振るって作ったものであり、そのトリックを現実のものに見せたのは金治さんの台本と与三郎さんの立ての訓練、このあだ討ちが間違いなく果たされたという話を事実として広めるのは一八さんが請け負った。ほたるさんは菊之助のあだ討ち衣装をそろえてくれたのだった。

確かに途中からは、おそらく作兵衛は殺されないだろうと見えてはくるが、ミステリーとしても楽しめ、更に芝居に協力した面々の人情噺と江戸時代の庶民の情景が浮かんでくるようで、素晴らしい傑作を読ませていただきました。

今日はこの辺で。