守屋克彦編著「日本国憲法と裁判官」

日本の裁判所、裁判官の問題については、元裁判官の安倍晴彦著「犬になれなかった裁判官」などで取り上げていましたが、守屋克彦編著「日本国憲法と裁判官」は、編著者はじめ全部で30名の元裁判官が、自身の経験からその問題点を明らかにしています。

全体に言えることは、官僚裁判官が最高裁や政権の意に反しない裁判所行政を行うことが定着し、裁判所は真実を裁く場所とは遠くかけ離れた場所になっているということです。

そのきっかけは、青年法律家協会(青法協)という法律家の任意団体が、日本国憲法に沿った正しい裁判を行うという団体であったにもかかわらず、自民党はじめ保守勢力の中傷で、そこに所属して弁護士や学者と一緒に勉強していた裁判官たちが、いわれのない非難を受けて、本来は独立して裁判を行うはずの裁判官が実質的には人事等で拘束され、自由を奪われ、裁判官が持つべき良心を持たない裁判官が主流派となってしまったことにある。

本書に登場する編著者の守屋氏をはじめ、長沼ナイキ訴訟で違憲判決を出した福島重雄氏、「犬になれなかった裁判官」の著者である安倍晴彦氏、何の理由も示されず、本人弁明も聞かずに裁判官再任拒否された宮本康昭氏など、青法協に最後まで所属し、自分の信念で判決を下した心ある裁判官たちが、「渋々と、支部から支部支部めぐり、四分の虫にも五分の魂」となって、辛酸をなめさせられたのは、司法界にとっても非常に大きな損失だったのではないでしょうか。

それにしても、宮本康昭氏の再任拒否に至る最高裁の陰湿な行動は、戦争中の思想統制を思わせるようなもの。尾行を付けて、本人の粗でも探そうとしたのか。宮本氏は熊本地裁時に再任拒否されたのですが、地裁の事務局長は同情的だったものの、次長は体制派で、そんな人物が高裁の事務局長になったとのこと。逆らったものは左遷なり去っていくなりし、協力したものは出世していくのは世の常か。ということは、今最高裁なり高裁・地裁でトップとなっている人は、あまねく政権に忖度するような人間ばかりということ。

本書で北沢員男氏が日本の裁判官の3形態を端的に書いています。

  1. 伝統的な官僚裁判官:日本国憲法を尊重する姿勢が乏しく最高裁事務総局の上命下服をよしとするタイプで、主流派を形成。
  2. 実務忠実ながら憲法には中立的ないし冷ややか、いわゆる中間層
  3. 憲法に従った裁判を実践し、平和主義と民主主義を大切にし、国民の人権尊重派で、残念ながら少数派。出世はまずできない。

憲法第76条第3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」

第80条第2項は「下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」

と規定しているが、最高裁自らが、これに抵触するような行為をしているのである。

日本の裁判所に未来はあるのか?

なお、憲法9条に関する違憲判決には次のようなものがあるので最後に記す。いずれも勇気ある裁判官が良心に従い、独立して判断した判決である。 

1.砂川事件

  1959年、米軍立川基地拡張反対の運動員が無断立ち入りした事件

  ・一審東京地裁:米軍駐留は憲法9条違反

  ・最高裁は意見合憲判断を放棄し一審判決破棄(統治行為論

2.恵庭事件

  1962年、北海道恵庭町自衛隊演習場の通信線切断事件

  ・一審札幌地裁:自衛隊法に抵触せず無罪、憲法判断回避

  ・公訴せず確定

3.長沼ナイキ基地訴訟

  1967年、北海道長沼町に自衛隊ミサイル基地計画に対する住民の反対訴訟

  ・一審札幌地裁(福島判決):自衛隊は9条違反であるから基地の保安林指定解除  無効

  ・高裁・最高裁は一審判決破棄、自衛隊の合違憲判断回避

4.百里基地訴訟

  1977年、自衛隊基地用地買収に関する違憲訴訟

  ・一審水戸地裁:合違憲の判断せず

  ・高裁、最高裁も地裁判断