「緊急事態宣言」と憲法への「緊急事態条項」付加を見誤るな(その1)

3月14日に施行された改正新型インフルエンザ等特別措置法(以下「特措法」)に基づく「緊急事態宣言」が4月7日に発せられ、8日から施行されました。法施行から宣言まで3週間が経過し、その間東京を中心とした大都市部で感染が広がりました。

3月14日時点での日本全国の感染者数は764名、それが4月8日現在では4,978名となり、4,200名、6.5倍に膨れ上がりました。法施行と同時に宣言していたならば、もっと感染者数を抑えられたのではないかとの思いを抱く方も多いでしょう。この間3月24日にオリンピック・パラリンピックの延期が正式に決まり、それまで抑え込んでいた感染者数が一気に増え始めたこととの因果関係も取りざたされています。その前の3月5日には、習近平の来日も正式に決定していました。

さて、緊急事態宣言は出したものの、外出自粛や店舗・施設営業自粛について、国と東京都の意見が合わずに、すったもんだがあったことも報じられ、この緊急事態宣言の性格自体も、何か試行錯誤の試運転が続いているといった印象です。

さて、ここからが本日の本題。

今回の新型コロナウィルス騒動が始まった直後、自民党の長老である伊吹文明氏が、特措法の緊急事態措置を憲法改正の一つの目的である「緊急事態条項」の予行演習とすればいいとの不謹慎な発言がありました。その時私は、安倍政権はそれを実際にやるのではないかとの疑念を持ちました。しかし、実際に蓋を開けてみれば、緊急事態宣言を出し遅れ、かつその運用についても右往左往しているのが実態。この政権が本当のピンチに陥った時の脆弱性を暴露しているのではないかと感じます。今まで順調に長期政権を謳歌してきたものの、本当の国家のピンチに出会ったことがなかったのも事実。たまたま絶対多数の国会の中で、どんなに政権私物化しようと、選挙に強い自分には、自民党の誰もが逆らえないという傲慢な考えで悠々と過ごしてきただけでした。したがって、いまだにレガシーというべき実績が何もない政権。せめてオリンピックを招致したしたのも自分で、開催しているのも自分という歴史が見えているだけ。

続きは後日、今日はこの辺で。