長い黄金週間と旅行とコロナ

 

途中に3日間の平日があったものの、一日は会社の指定有給休日、残り二日を個人的な休みにして、11連休の長期休暇となった今回の黄金週間。何もない日々ながら何となく日は過ぎて、7~8日だけ緊急事態宣言のなか小旅行で富士五湖方面へ。新宿からバスで向かいましたが、乗客は3組4名のみ。私と妻の組は富士芝桜会場へ直行。芝桜は見事に咲いていましたが、やっぱり桜は本物の桜が一番。1時間ほど滞在して河口湖駅経由山中湖へ。バスが山中湖に近づくにつれて雨が降り出し、三島由紀夫文学館に行くためバスを降り、到着するまでは雨と寒さに震えるありさま。

三島由紀夫は山中湖に縁もゆかりもないとのことですが、なぜか小説の南策化に山中湖周辺の地名が出てくるということで、ここに文学館ができたとのこと。三島家から寄贈された手書き原稿などを展示し、映像も公開。三島が割腹自殺してから今年で50年ということで、三島ブームではありますが、平日の雨の中、入館していたのは私達二人だけ。この雨の中仕方がないでしょうがさみしい限り。それでも隣の徳富蘇州記念館と合わせてゆっくり見学出来ました。

その後15分ほど歩いて本日の宿へ。昨年の長今時の緊急事態宣言中に夫婦で来る予定が、妻が辞退して私一人で来たのですが、今回は二人で訪問。こちらも宿泊者は私ども一人だけでしたが、たまたま今日は一組ながら、連休中はコロナが怖いほどにたくさん宿泊されたとのこと。一安心した次第。

夕食・朝食をたっぷり食べ、お風呂にゆっくり入り、備え付きのマッサージ機をたっぷり使って癒しの時間を過ごすことが出来ました。

翌日は早めのバスで新宿直工と相成りました。

緊急事態宣言は今月末までに延長され、本日(5月8日)の感染者と志望者は1月のピーク時以上となりつつあり、危険な状況が続くというか、拡大している状況。オリンピックがネックになり思い切った対策が取れない今の政府に収束能力があるのか?

本日私の居住する杉並区からワクチン接種予約のお知らせが来ました。5月で65歳になるため、ワクチンの恩恵を受けられるのですが、果たして受けるべきか否か?

今日はこの辺で。

中山七里「TAS 特別師弟捜査員」

中山先生の学園物推理小説「TAS 特別師弟捜査員」読了。中山作品の学園物では「どこかでベートーヴェン」という作品がありましたが、本作も似たようなシチュエーションと言えば言えるでしょうか。

とある高校の演劇部所属の才女高校生が美術室の窓から落ちで死亡する事故?事件?が発生。その才女は容姿・頭脳・人柄とも申し分のない高校生で、演技記部の部長として主役を張る方。死体から大麻が出てきたことから自殺か事故とされたが、本作の主役たる高梨慎也と従兄の公彦刑事がタッグを組み犯人を追う。そんな最中、死んだ才女にあこがれていた後輩部員も死亡する事件が発生したことから、演劇部員関係者の誰かが犯人ではないかとされ、師弟が捜査員となって事件解決に至るという話ですが、中山作品の常とう句のごとく、殺人事件とは他に今回は音楽ではなく、演劇を仕上げていくというストーリーが経糸となり、そちらのいわば青春小説的な色合いも強い話で、それがなかなか推理小説としての筋と絡まって、興味をそそられ、読みだすと次のページが読みたくなる面白さ。これが中山作品の真骨頂でしょう。

本作では大どんでん返しと言えるものがなく、順当に演劇部の部員が事件に関係しているのですが、その辺がちょっと物足りないところでした。

今日はこの辺で。

映画「37セカンド」「朝が来る」

2021.05.02(日)、ギンレイホールにて日本映画二題鑑賞。いずれも重いテーマを扱った好作品で、見ごたえのある映画でした。ちなみに、ギンレイホールでの日本映画は久しぶり。前日の一日(土)に開映10分前に行ったのですが、既に会場は満席のことで、出直し鑑賞。いい作品だったからか、久しぶりの日本映画だったからなのか、一日の映画の日だったからなのか、シネコン等大規模映画館が休業していて、営業している映画館に集中したのか、などなど、いくつか理由があったのですが、果たしてどれが当てはまったのか。

「37セカンド」は、出産時に37秒間呼吸ができなかったことから障害が残った女性が、漫画家としてのキャリアを積んでいるものの、ゴーストライターの域から出られず、その殻を破っていろいろの体験をしていくポジティブな映画。身障者の性体験も大胆に描くなど、問題性を多く含んでいますが、決していやらしいものではなく、自然な形で描かれます。ラストに希望を持たせる映画で、心地良さがありました。

「朝が来る」は辻村深月のベストセラー小説の映画化。この作品も特別養子縁組制度やシングルマザーとなることの深刻さや家庭からの離脱など、重い問題を扱っています。子供を授からない夫婦が最後の手段として特別養子縁組を決断。その子供を産んだ女性の家庭や、その後の苦難などを描きます。特に重点が置かれているのが、子供を産む女性の家族や本人の境遇の変化。家族からも見放された女性は東京の新聞配達所で勤務。そこで同僚の女性に騙されお金が必要になり養親のところに、子供を返すかお金を要求しに行く姿は哀れそのもの。シングルマザーで子供を育てることなどできるわけのない境遇ながら、そこまでしなければ生きていけない姿が痛ましい。それでも養親の母親と生みの母が理解しあう姿が描かれ、希望が持てるラストでした。

今日はこの辺で。

映画「ミセス・ノイズィ」

 

下高井戸シネマにて日本映画「ミセス・ノイズィ」鑑賞。ほとんど有名俳優の出ていない、いわゆる低予算映画の部類に入る作品ですが、こうした作品の中にミッケ物の作品が時々ありますが、本作はその一作。

表題通り、騒音を振りまくミセスが出てきます。そのミセスのアパートのお隣に住むのが、幼児を持つ女性作家。早朝まで原稿を書いている最中、突然隣に住むミセスが布団を干してそれをたたく騒音が気になり、執筆が進まずイライラ。子供もまとわりついてイライラは募るばかり。そんなある日、子供がいなくなり大騒ぎ。でも子供は隣のミセスが預かっていて、何の連絡もなかったことから、作家女性は封激し犬猿の仲に。でも、ミセスの家庭には布団をたたかねばならない複雑な事情があった・・・・。

映画の当初は迷惑ミセスと思いきや、彼女は至極真っ当であり、逆に女性作家お母さんが自分のことしか考えない自己中を自覚していくという話。

冒頭述べたように、極めて地味な俳優しか出ておらず、話自体も派手なところはないのですが、やはり脚本がしっかりしているのでしょう。観ていて眠気をもよおすこともなく、最後まで楽しめる、そして考えさせる作品に出来上がっています。こうした小品の良作はなかなかテレビでも放映されませんが、一見の活のある作品でした。

今日はこの辺で。

中山七里「アポロンの嘲笑」

中山先生が東日本大震災福島第一原発事故をバックグラウンドに発生したテロ事件を題材にしたスリラー「アポロンの嘲笑」読了。

中山作品でわかりや易いのは、実名がポンポン出てくること。福一事故も張本人の東電の名前が無責任会社として堂々と語られます。大マスコミと違って、東電など大電力会社とは腐れ縁のない作家としての矜持がうかがえて非常に分かり易く、逆に東電してみれば憎々しい表現でしょう。

7歳の時に阪神淡路大震災に被災し両親を失った加瀬邦彦津波で家族が被災し、子供が行方不明が仁科忠臣刑事。この二人がダブル主役となって物語が進行します。加瀬は両親を失って以降親族に恵まれず、また就職会社も不運にも何社も倒産して、結局ふくしま厳罰の保守要員と働く。そんな加瀬が、両親と死別して初めて家族の温かさを知った金城家との交わり。話は加瀬がその金城家の息子である純一を殺害したことから始まる。その死も結局殺人ではないのですが、それでもその死の裏に隠された重大なテロを防ぐために加瀬は混乱の福一現場に戻ろうとする。その謎を追うのが仁科刑事。そして最後は二人が福一で出会って・・・・。

非常に壮大な話ではあるが、決して他人事ではないお話。現在の原発規制委員会が各社に課しているのもテロ対策用の重要施設の建設であり、東電柏崎刈羽原発で見つかったのもテロ監視施設の不備。彼の国が原子爆弾の発射よりもほかの形で原発を狙うことも十分に考えられることから、その警鐘を中山先生が鳴らしているのではないか、とは考えすぎか。

東野圭吾の「天空の蜂」も原発へのテロを想定した小説でしたが、本に恐ろしいこと。やはり日本には原発はないほうがいいとは私の持論でありました。

今日はこの辺で。

映画「パリの調香師 幸せの香りを探して」

424日(土)、ギンレイホールにてフランス映画「パリの調香師 幸せの香りを探して」鑑賞。あまり期待していなかった分、退屈することなく鑑賞できる、希少価値のある映画でした。

運転手派遣会社に勤務する男が派遣された先が、かつて有名ブランドのヒット香水を生み出していた調香師の女性。ニオイに敏感であると同時に、人使いの荒い女性で難渋するが次第に打ち解けて信頼を得ていく姿を描く。運転手と特別な乗客で思い出すのは、アメリカ映画「グリーンブック」。同作は近年でも上位に入るアカデミー作品賞受賞作で、これと比べるのはかわいそうですが、それでも粗野な運転手と気難しい乗客で、その乗客が何らかのハンデキャップを持っているというシチュエーションは何となく似ています。

調香師の持つハンでは、嗅覚が一時的になくなってしまうこと。そんなハンデを、運転手がカバーしていく様子が描かれ、次第に心を通じ合っていくという人間ドラマが魅力です。それにしても“パリ”標題に”パリ“がつくと、何か香水のニオイが漂ってきそうなところが”パリ”の魅力なのですが、本作はどちらかというと地方が移されていることに騙されぬように、

今日はこの辺で。

 

中山七里「ネメシスの使者」

中山先生が刑事司法制度問題、特に重罪事件の犯罪加害者・被害者家族がその判決で苦悩する姿を描いた作品「ネメシスの使者」読了。

死刑制度の賛否については、日本では圧倒的に制度存続賛成派が80%と言われるほど、世界の他国とはかけ離れ、当分死刑制度廃止の議論は起こりそうもない状況ですが、冤罪で死刑判決が出され、それが執行された場合には、取り返しがつかないことを考えると、非常に難しい問題。数日前にも、飯塚事件で既に死刑が執行されてしまった久間三千年さんの再審請求審421日に却下されましたが、冤罪の可能性が極めて高い事件であり、恐ろしいことです。

本作の主人公は埼玉県警の渡瀬警部ですが、中山作品の常連さんも何人か出てきて多彩な顔触れ。

それぞれ二人の罪のない人を殺したにもかかわらず、“温情判事”の判断で死刑を免れた二人の懲役囚のそれぞれの家族が殺される事件が発生。犯罪現場には「ネメシス」の文字が残される。ネメシスとは復讐の女神のことであり、死刑を望んでいた被害者家族周辺の人物が犯人ではないかと渡瀬をはじめ警察は捜査を開始するがなかなか特定できない。法務当局は、復讐が賛美されかねない風潮を気にして早期収束を図るべく犯人に注力するが、実は犯人は意外なところにいた・・・・。中山先生独特の最後のどんでん返しが用意もされており、エンタメ作品として十分に楽しめるが、温情判事こと渋沢判事の言葉が印象的。その要約は「死刑は一瞬の恐怖や苦しみだが、懲役刑は長期間にわたり犯罪者を内側から殺していく刑罰。人間性をぼろぼろにする苦しみを長期にわたり課すものである。死刑で死んだとしても、遺族の怨念が晴れるものではない。死んでしまえば受刑者自身の苦しみもそこで停止する」。死刑よりも懲役刑の方が犯人には重い刑罰なのだという趣旨。

これには賛否があるでしょうが、重い言葉ではあります。

今日はこの辺で。