内閣官房機密費の闇

ようやく始まった国会の見せ場は、本会議ではなく一問一答がある委員会。中でも予算委員会は首相も出席することが多く、最も重要な委員会であります。コロナ一色の国会質問の中、先週の参議院予算委員会で、共産党の小池議員が内閣官房機密費について質問していた。官房機密費は、内閣官房長官官房長官室の金庫で、現金で預かっているもので、第二次安倍内閣機関中一貫して官房長官であった菅首相が7年8か月にわたり管理していたもの。この間使われた金額が86億円、年間11億円、一日307万円使っていた勘定。この機密費は読んで字のごとく機密のため、領収書の類は必要なく、永遠に公開されることもない完全なブラックボックス。小池委員の質問は、丁度総裁選が行われた機関にも42百万円使われていたため、総裁選に使われていたのではないかと問いただしたもの。勿論首相の回答は「そんなことはございません」の一言。

過去に機密費について話題になったのが、民主党への政権交代があったとき。交代前の官房長官であった自民党の河村官房長官が、金庫を空っぽにして民主党に金庫を譲り渡した際。政権移行期に使い道があるはずないだろうとの憶測から、党のために私的に使われたのではとの追及があったとき。だが、大した問題にもならず、民主党政権時代も機密性は変わることなく、枝野幸男官房長官なども10億円ぐらいの機密費を使っていた。従って、今の立憲民主党も官房機密費について追及することはタブーとなっている。

密かに言われているのが、河井杏里氏の選挙資金に自民党の1.5億円+官房機密費が使われていたのではないかという話。当然菅首相は否定するはずだが、機密費については何ら証拠を政権が示すことはないのであるから、誰が何を言っても自由であり、名誉棄損の訴訟も政権は絶対にできない事情がある。税金の一部であることは間違いない事実であることから、本来機密費などあってはならないのであるが、政治を円滑に動かすためには必要な資金という大義名分が通ってしまっているところは、誠に残念である。高い倫理性が求められる機密費の使用だが、安倍政権、菅政権にその倫理性がないことは不幸なことである。

ちなみに、企業にはお金の使用用途に関する透明性が強く求められ、使途不明金については高い税金が課されるペナルティーがあることからして、内閣官房の透明性が気がかりである。

今日はこの辺で。

中山七里「連続殺人鬼カエル男」

中山七里のサイコミステリー「連続殺人鬼カエル男」読了。中山作品は本年2作目で、本作は、「このミス」で異例の2作候補作となった作品で、大賞は「さよならドビュッシュー」を獲得、しかし、本作も高い評価を得た作品とのことで、文庫化された作品。

実名で飯能市が出てきますが、横山作品のように「D県」のような表現よりは、より現実感があっていいことをまず申し上げます。飯能市民がパニックに陥って、警察署に抗議に押しかけ、署内に侵入する描写は、トランプの呼びかけでアメリカ連邦議事堂内に侵入し、狼藉を働く場面を重ねてしまいました。飯能市民はもちろんもっと冷静な市民でしょうが、ここはお話であるのでお許しを。

変質者によると思われる殺人事件が連続して発生し、現場には「カエル」を捕まえた旨のメモが残される。被害者の関係性は皆無で、順番がアイウエオ順だとの推測だけわかる。「エ」までの4件が実行されてから、刑事が犯人と対決する場面がやってくるのですが、最後の最後まで真犯人がどんでん返しの繰り返しで変わっていくのは、正にサイコミステリー。二重人格犯罪が主題となっているが、殺人の態様のむごたらしさが、大きな印象を与える作品でありました。

今日はこの辺で。

森功「官邸官僚」

ノンフィクションライター森功著「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」読了。

「官邸官僚」という言葉自体、以前は耳にしなかったが、第二次安倍内閣になってから、盛んに聞くようになった。簡単に言えば、首相側近の官僚ということなのですが、これまで官邸官僚が力を持つようになった背景は何なのか?一言でいえば、安倍一強により、官邸にたてつくものがいなくなり、安倍の側近もまた、ボスの威を借りてやりたい放題しているということなのでしょう。

官邸官僚が良心的な人間ばかりで、日本国民の幸福をより高めてくれるような政策をとってくれるなら、何ら文句を言う筋合いはありませんが、貧困・格差拡大、老後不安など、決していい方向に向かっているとは言えない現在の日本人の生活を考えると、決していい政治が行われているとは思えません。

コロナ禍で浮かび上がった最側近である今井尚哉をはじめとする経産官僚のお粗末さ。コネクティングルームで話題になった和泉洋人参考人招致前川喜平氏の主張に対して言い訳じみた嘘を並べた狡猾さなど、ろくな人間がいないのがあからさまに分かります。

内閣人事局による官僚人事の掌握は、あからさまな贔屓が忖度を助長するといわれますが、いつまでこんな状態が続くのか。

本書では、安倍内閣で問題になったモリ・カケ・日報・統計不正(本書の出版時には、まだサクラや学術会議は表に出ていない)などの不祥事のほか、官邸官僚の出しゃばりによる外交の停滞、検察の忖度などが取り上げられ、いかに安倍・菅体制が弊害を生み出しているかを暗に批判しています。

森功氏が鋭いのは、菅官房長官が安倍政権を支えたからこそ、長期政権になったということをはっきり書いていること。つまり、安倍政権の不祥事はすべて菅が知っており、処理してきたということが分かります。その菅が今、首相となっている事実は、日本にとって最も不幸なことではないか。菅は内閣人事局による人事支配によって、官僚を好きなように使うことで、権力を強化するすべを最も知悉している人間。菅の下で、杉田官房副長官和泉洋人秘書官が今後も権勢をふるう最低の展開が続きます。

本書とは関係ありませんが、菅は内閣官房機密費を官房長官在任中に80億円以上自身の判断で使っていたとのこと。年に10億円、一日300万円もの金を使っていたことになります。昨日の参議院予算委員会共産党の小池氏が質問していましたが、学術会議の10億円を言うのなら、80億円の中身を公表せよと言いたいものです。一説には河井杏里氏の選挙資金に使われたという疑惑もある中、菅という人間の恐ろしさを改めて実感しました。

今日はこの辺で。

2021.01.22~25 東北・信州温泉旅行

世間的には甚だ不謹慎かもしれませんが、大人の休日倶楽部を利用した東北・信州方面温泉旅行を強行。本来はGoToトラベルを利用するはずだったため、少し高級な旅館を選んだのですが、残念というか、当然というべきか、GoToは中止され宿泊補助も地域クーポンもなし。一度は旅行中止も考えましたが、妻が元日を含め年末年始パートで頑張ったことから、慰労も兼ねて強行しました。

今回訪問したのが山形の銀山温泉蔵王温泉、信州の高山温泉郷山田温泉の3か所。銀山、蔵王は2回目、山田温泉は6回目の訪問ですが、どこの温泉場も、例年に比べ極端にお客さんが少なく、観光業の不振が実感されました。

今年は雪が多いということで、山形での散策はあきらめ、初日の22日は銀山温泉に直行。東京駅9:24分発の山形新幹線に乗り大石田下車、山笠バスで銀山温泉着。こちらは冬でも人気温泉地と言うことで、そこそこのお客さんが来ていましたが、このうちどれだけの方が宿泊するのか。私たちが宿泊したのが古山閣と言う老舗旅館の別館の西洋風のお宿。夕食がイタリアンのフルコースということで妻が是非ともということで選びましたが、夕食時に見かけたのは私たち含めて二組、4名のみ。朝食は本館の古い木造旅館でしたが、ことらはかなりの部屋数がありますが、宿泊客は5組10名程度。どのお宿も同じような状況なのでしょう。とにかく早くコロナが終息し、地方の重要産業である観光が復活することを祈るばかり。

銀山温泉は狭い谷間に、川を挟んで木造の古い旅館が十数軒立ち並ぶ大正ロマンを味わえる魅力ある温泉。到着早々見たのは、雪下ろしに作業。男衆が屋根に上って盛んに雪下ろし作業を行っていました。古い木造旅館がほとんどであるため、雪下ろしは欠かせない作業なのでしょうが、今年のような大雪は温泉の方たちにとっても大きな負担なのでしょう。そんな状況を見ながら100m程しかない温泉街を歩いて昼食。銀山温泉のある尾花沢市はそばでも有名で、盛そばを食しましたが、腰のある絶品の味でした。3時にチェックインし、温泉に浸かったのですが、コロナ対策のため脱衣場と浴室の扉を閉めないようにとの張り紙。浴室の換気扇は全開で、洗い場にいると寒気がすぐに身にまとわりつく有様。止むを得ないのですが、老体には残念なことでした。

さて、一番の期待でありますイタリアンのフルコースですが、今までイタリアンのフルコースなど食べたことのない私には、フランス料理との違いも判らず。さすがにパスタだけはイタリアンと分かりましたが、その他は区別不能。ただし、大変おいしい料理でありました。

翌日は旅館の送迎バスで大石田駅へ。大石田から各駅列車に乗って山形。山形で50分ほど時間があったので、駅から5分ほどの霞城公園へ。こちらの城跡には天守はなく、石垣のみ。広い敷地に体育館や運動場が配置され、城跡部分は発掘作業が進行中。やはり城跡には天守が欲しいもの。発掘が終わったら天守でも作ってほしいものです。

山形駅から山後バスで蔵王温泉へ。蔵王温泉のバス停から本日の旅館までの道を探すのに手間どい、妻に嘲笑される始末。方向音痴はいつまで経っても治りません。ようやく坂を上って旅館にたどり着き荷物を預ける。花ゆらんという宿でしたが、ここでもコロナ対策が徹底されており、荷物には旅館の方は触れない、部屋には案内しない、食事の料理は最初から並べて、給仕は最小限など、説明を受けました。これが山形県の旅館の対策だそうで、徹底していました。とりあえずロビーに荷物を置き、目的の樹氷見学へ。蔵王はさすがにスキーのメッカということで、スキーやスケボーでゲレンデには多くの人が。私共は樹氷見学のみで、ロープウエーで山頂駅へ。例年であれば、インバウンド客を含めて、ロープウエーにも長蛇の列ができるそうなのですが、今年は大した行列もなく、すぐに乗れて頂上を目指します。目的の樹氷は、数日前に暴風が吹き荒れ、かなり雪が薄かったのは残念ですあG、それでも樹氷の美しさを満喫。頂上駅付近の寒さも味わい、レストランで甘酒も飲み下山のため、再びロープウエーに乗車。

旅館のお客さんは、夕食を見た限り3組5名。こちらも淋しい感じ。それでも給仕をしてくれた女性の方が元気よく対応してくれて、気持ちよく食事できました。

3日目は電車での長距離旅。山形駅から大宮経由長野、長野から長野電鉄で小布施、小布施からは旅館送迎車で山田温泉風景館着。蔵王温泉を9:40分に出て最短経路で旅館着が16:00の長旅。山田温泉は6回目の訪問になりますが、何がこんなに私を引き付けるのか。長野県生まれの私ですが、高校卒業までの18年間には、ほとんど佐久地方を出たことがなく、広い長野県を知らずじまい。そんなこんなで今は盛んに長野に来ている次第。長野電鉄も随分親しみが出て、いい電車だと思っています。今回は長野から小布施まで切符を買って乗車、小布施で改札を出るときにキップが見当たらず右往左往。駅員さんは、「じゃあ、いいですから」と出してくれました。田舎の電車はこういうところが嬉しいです。ちなみに、このなくした切符は、帰りの電車に乗る直前にジャンパーのポケットから出てきた次第。妻に笑われることしきり。

山田温泉風景館もコロナ対策が徹底。数日前に送迎の依頼電話をした際、電話が何度かけても通じず、やっと出たのが女性でした。送迎はOKなのでしたが、コロナの話になって、松本が緊急事態となり、長野市近辺も可能性があるという話。その女性は、何となくキャンセルを促しているような、微妙な言い回しだったので、キャンセルしたほうがいいのかなあ、と一瞬戸惑いましたが、とりあえず行きますからと回答。そして当日到着すると、旅館には女性の方はおらず男性のみ。客も夕食を見た限りでは3組だけ。部屋食などがあればもっとお客さんはいるのでしょうが、館内は閑散、お風呂でもほかのお客さんを一度も見かけませんでした。風景館のおすすめは食事。地元食材を取り入れた和食料理は、夕食・朝食とも大変満足いたしました。特に朝食は、下手な旅館の夕食よりもよっぽど豪華なつくりで、大満足でした。翌日の最終日は善行寺参り。お目当ての戒壇巡りは、コロナ対策で明かりが床に置いてあり、真っ暗闇の続々感が味わえず、残念でした。

4日間を通して、各地で厳重なコロナ対策を体験、自分の旅館からクラスターを絶対に出さない覚悟を感じるとともに、激減した客がいつ戻るのかという、観光業界の苦悩がうかがえました。

今日はこの辺で。

中山七里「追憶の夜想曲」

推理作家中山七里氏の法廷ミステリー「追憶の夜想曲」読了。御子柴弁護士シリーズの第二作で、最後の最後にどんでん返しが待っている作品。

主婦が夫殺しで逮捕され、あっさりと犯行を自供し、一審の裁判員裁判では懲役16年の実刑判決を受ける。一審の弁護士は御子柴ではなく、過剰利息の返還を主な仕事にしている弁護士だったため、あっさりと終了するのだが、御子柴が何故か金にもならない仕事を善人の弁護士を脅迫してまで弁護を引き継ぐ。その理由は最後まで明かされないが、御子柴の覚悟やいかに。

殺された夫は、いわゆる引きこもりでデイトレードを行っているぐうたらで、大きな借金も背負っている。姿を見せないもう一人の13歳の娘がいるのですが、この辺は最初から犯人的謎解きはないのですが、それでも御子柴の弁護の姿が刻一刻と描かれ、読ませる小説でした。最後の落ちはあまりにも?だが、まあありかとの感想でした。

今日はこの辺で。

NHK取材班・北博昭共著「戦場の軍 法会議日本兵はなぜ処刑されたのか」

昨日「公文書の危機」を読み終わり、ブログ掲載しましたが、今日読了した標記著作も、大いに公文書と関係がある作品。

NHKスペシャルで2012年8月14日、50分の番組として放映された番組ですが、その番組のもととなった取材過程を本にした作品ですが、まず第一に感じたのは、たかが50分の作品ながら、ととてもない時間と労力が費やされてできた番組であることです。メディアが調査報道を避けている一つの理由として、費用対効果の問題があるといわれますが、NHKだからこそ作れる番組であり、歴史的に非常に貴重な番組であり、著作でもあります。しかし、本来であれば、終戦時に陸海軍が貴重な文書を「焚書」しなければ、もっと真実に簡単に迫れたはずであるという、正に公文書を為政者がわが身を守るために消滅させたという歴史的な罪があるということです。

そして著作の内容での印象は、公文書がなく、実際に軍法会議に携わった、あるいは軍隊に所属して、仲間が処刑されていったことを知る人間のほとんどが鬼籍に入るか、あるいは高齢であるという壁があったなかで、貴重な証言を見つけ出し、当時の軍隊の不条理を訴えたことの重要性です。

大日本憲法下であっても、憲法にのっとった刑法や民放があり、それに則った裁判が行われた訳ですが、軍隊にあってはすべてが上意下達に世界。上巻の言うことは逆らうこともできず、更には戦時においては敵軍人を殺すことは許される行為でもあり、軍法に基づく裁判が行われざるを得ない世界である。ただし、これを認めるにしても、許されることと許されないことは当然に存在するのであって、終戦まじかの、米軍に追い詰められた状況下、食糧はなく、末端兵士は飢えないために食料調達のために隊から離れ、帰還が遅くなったことから、逃亡とみなされ軍法会議も経ないで処刑されるなどの理不尽な行為もあったとのこと。その結果、処刑された兵士は「逃亡犯により処刑」という烙印を押され、遺族年金も支給されず、遺族は戦後もいわれなき差別を受ける事態も散見されたことには、腹立ちを覚える。戦場では不思議と上官優先に食料も配分されたこともあったようで、軍法会議のために陸海軍に配置された「法務官」と呼ばれる戦場の法の番人たちの多くは無事に帰還し、戦後の司法中枢で生き延び、中には最高裁長官や検事総長になった人もいるのである。

本書に登場する法務官、沖源三郎氏と馬場東作氏も戦後法務省役人や弁護士となっている。この二人については、軍法会議の理不尽さについて晩年に貴重な証言していることで、まだ許されるのであるが、法の番人の役割を果たさないまま戦場から悠々と帰り、その後口を閉ざしたまま司法の世界で生きてきた姿は、今の日本司法の体たらくの源流でもある気がしてならない。

生き証人が少ない中、NHK取材班は北博昭氏という貴重な研究者と出会ったことは最大の幸運であった。北氏は軍法会議に関しての研究をやった数少ない方で、NHKという大マスコミの調査報道の立役者であり、彼がいなければこれだけの番組や著作は作れなかったはずである。

それにしても、フィリピンのジャングルまで逃げて、人肉食までして生きなければならないほど飢えた状況で、敵に降伏もできないような軍隊が許されるのだろうか。そして、英語が喋れるから米軍に情報を漏らしかねないとして処刑されてしまう理不尽が許されるものなのか。BC級戦犯として裁かれ処刑された軍人も多かったのであるが、証拠を隠滅して生き延びた軍人が戦後日本の中枢を担ってしまった日本という国の不幸は、いまだに続いているような気がするのである。

今日はこの辺で。

毎日新聞取材班著「公文書危機 闇に葬られた記録」

安倍政権になってから問題になった公文書管理は、何件あったか。主なところで、

等々。

いずれも国会で大きな問題となり、野党が追及したのですが、「記録が残っていない」、「保存期間が過ぎたので廃棄した」、「記録は作っていない」などの答弁で政権は切り抜けてきた。

公文書は、公文書管理法で定義されており、上記案件はいずれも行政行為であり、その決定過程や記録は、当然に公文書の範疇に入るものである。特に、森友・加計学園問題では、学校の設立認可にかかわる過程に、どういった人が係ったかは、非常に重要な決定過程の記録でありながら、一部は改竄されたり、また一部は「怪文書」呼ばわりされたり、全く理解できないような事態が起こってしまった。桜の問題では、出席者名簿が一年未満の保存期間になっていたことから、すぐに廃棄されたとのおかしな答弁が貫かれてしまった。首相は行政に最高の意思決定機関でもあり、その首相がどのように係ったかは、本来きちんと記録に残さなければならないはずが、不都合なものは決して残さない、記録するものは部屋に入れないなど、信じられないことが本書で述べられている。

行政は、圧倒的に前例踏襲主義が常識であり、行政文書は必ず残っているべきものだが、それがないものとして政権が公文書管理のガイドラインを骨抜きにしていることの責任は極めて重い。

今私は、同時進行で太平洋戦争末期の軍法会議にかかわる本を読んでいるのですが、ここでも問題となるのが文書の存在。終戦間際の戦場でどのような理不尽な行為が行われたのか、あるいは太平洋戦争を通して、どんな意思決定がなされていったのかなど、後世に残すべき文書が多々あったはずなのに、軍部は米軍が乗り込んでくる前に、相当数の重要文書を焼却した事実は皆が認めている。言ってみれば、悪事の証拠は自分の身に降りかかってくることを恐れ、なきものとしたのである。正に、安倍政権が行ったことは、戦争を仕掛け、最後の最後まで国民に連戦連勝といった嘘をつきとおした軍部や為政者と同じことである。本書を読んでいて、本当に日本がよい方向に向かえるのか、先人のしたことを反省したり、良いことをまねたりすることができるのか、甚だ怪しい限りである。

今日はこの辺で。