江上剛「レジスタンス」

今日、ある経済評論家の講演を聞く機会がありました。マスコミでもおなじみの内橋克人氏。一貫して中小企業や労働者、庶民の立場に立った経済政策を唱えている方です。今日の講演でも、強い口調で現在の日本経済の状況、その日本のお手本になっているアメリカ経済の実態=マネー経済を徹底的に批判していました。彼の主張は小泉=竹中経済政策の正反対の主張であり、これもまた説得力がありました。内橋氏と竹中氏の面と向かった論争が聞きたいものです。
それにしても、今日も株価が450円以上下がり、危機的な状況を迎えつつあります。内橋氏が語るように、はっきり言ってアメリカ経済に明るい見通しが全くなく、アメリカに追随してきた日本もまた、世界から見捨てられてしまうのか?物本位から金本位になっているアメリカと日本。「改革」という名の新自由主義に修正が必要なのでしょう。
そんな講演を聞いて、今日読み終わった江上剛レジスタンス」はインパクトがありました。
銀行員といえば、バブル以前は高給取りの代名詞で、誰もがあこがれた職場。そんな銀行の実態を知り尽くした?銀行員出身作家の作品でもあり、銀行の実態を知ることができます。「頭取無惨」他、全部で6篇の短編集ですが、どれも読み応えがありました。中でも最後の2篇、「いつかの、本番のために」と「機械の音」が秀逸。「いつかの、・・・」は金融庁の銀行監査と外資のハイエナファンドの話。内橋氏が最も嫌う、ものづくりをマネーが買うことの矛盾が垣間見えます。「機械の音」は貸し剥がしを徹底する銀行の醜い姿勢。内橋流に言えば、アメリカのマネー経済=グローバルスタンダードを無制限に受け入れた日本の経済政策の行き着いた端的な銀行の悪行ということでしょうか。
さて、バブル崩壊公的資金注入以降、銀行経営は地に落ち、行員の給料も相当下がって、世間並みになったといわれますが、彼らに同情する声は聞こえません。銀行だけがなぜ潰れないのか?なぜ公的資金注入なのか?この答えが未だに出ていないからなのかもしれません。
今日はこの辺で。