テレビの虚実

関西テレビ製作の”情報”番組、「あるある発掘大事典」での番組捏造問題が発覚し、過去の番組についてもその真実性が疑われています。私はこの番組の存在は知っていましたが、見たことがなかったので、例の納豆についても、売り切れが出るほど話題になったことも知りませんでした。ただ、よく職場で番組が話題になっていたのは記憶にあります。この番組だったかは知りませんが、一時、αリボ酸がダイエット効果があるということで、私も早速買ったことがありました。その時もやはり品切れ状態となっていたように記憶しています。買ったのはいいですが、結局ほとんど飲まず、まだ残っています。
本来、「あるある発掘大事典」なる番組は、情報番組なのでしょうか?私たちはこうした番組は娯楽バラエティーとしてみるべきではないか。妻に言わせると、「あんな番組を見て信じる方がおかしい」となります。確かにこれも一理ありますが、やっぱり公共の電波を使っている以上、それなりの良心は見せてもらわなければ、視聴者は納得しないでしょう。例え受信料は払っていなくとも。
この問題で明らかになったもう一つの問題は、番組制作の重層下請構造です。関西テレビの担当者は2人だけで、その下に元請会社があり、更に一次下請の会社がありました。その下は何も報道されていませんが、一次下請け会社は社員は少なく、契約社員派遣社員、フリーの個人契約社員などがいる可能性はあります。こうした重層下請構造の中で、製作費が削られ、期間も削られ、やむなく良心に目を瞑ったという構造も明らかになります。
27日深夜の「朝生テレビ」で、格差社会について討論していましたが、その中で、政治家とテレビ局が一番格差問題を取り上げる資格がない、との田原総一郎の見解がありました。その通りなのです。テレビ局は盛んに格差社会について取り上げますが、実は彼らの会社の中にこそ格差があるのです。キー局の社員は目の飛び出るような高給取りがいるそうですが、実際に製作現場を支えているのは、何層にもなった下請会社の人間のはずです。
悪口ばかり言いましたが、良心的ないい番組もあります。今日の16:00から同じフジテレビ系列の長野放送政策のドキュメンタリー作品、死刑囚と歌人との交流を描いた番組は見ていて徐々に引き込まれました。こういったすばらしい番組を作るスタッフもいることは、視聴率一辺倒の今のテレビ界の現状に一石を投じるものでした。
今日はこの辺で。