米沢穂信「真実の10メートル手前」

米沢穂信のおなじみ、大刀洗万智を主人公とした短編小説集「真実の10メートル手前」読了。
短篇小説はどうしても記憶に残りにくく、最後の作品を読み上げて、最初の作品を思い返してもストーリーがよく思い出せない今日この頃。家族からも言われるのですが、記憶力が悪い、ボケが始まっているのではないかと心配してしまいます。加齢とともに記憶力は落ちるのでしょうが、私の速度は尋常ではないのかも?本当に自分が嫌になります。
この短編集の面白いところは、大刀洗万智の行動や思考を、こう移動を共にした第三者が語る手法を取っていること。
表題作「真実の10メートル手前」は、兄妹で事業を起こして成功したものの、やがて経営に行き詰まり、妹の行方を追う記者の大刀洗女史を、同行したカメラマンが一人称で語るスタイル。妹に行先を冷静に言い当てる大刀洗の姿が描かれます。表題作としては印象がいまいち。
「正義感」は吉祥寺駅で転落死事故に遭遇した大刀洗が、自殺ではなく殺人であることを見抜く話。電車で傍若無人のような振る舞いをした男に対して「正義感」を抱いて突き落とした青年が犯人で、犯人を呼び寄せた彼女の振る舞いが描かれます。
「恋累心中」は、高校背の男女が三重県の恋累(こいがさね)で心中を図り、それを取材するしゅうかんしきしゃが一人称となり、たまたま三重県にいた大刀洗女史が記者を助けて、心中事件の真相を暴いていく話。遺書は完全な心中と思われる文面が並んでいるのですが、「たすけて」という一言が解明のきっかけになる。話はちょっとややこしいが、大刀洗の取材力と推理力が発揮されます。
「名を刻む死」は、62歳の初老の男性が孤独死し、第一発見者となる中学3年生の男子生徒を一人称に、大刀洗がその死の真相を突き止める話。死んだ男性は子供やご近所から疎まれていた人間。そして、死には不審な点はなく、事件性はないと思われる。ただし、大刀洗は彼の日記の「名を刻む死」に引っかかる。そこから、彼の新聞への投稿やアンケートに不審を抱く。世の中には、会社を退職しても肩書にこだわる人はたくさんいると聞きますが、そんな肩書に目を付けた作品でした。
「ナイフを失われた思い出の中に」の第一人称は旧ユーゴスラビアの男性。彼の妹さんの親友である大刀洗に会いに行き、悲惨な事件を取材中の大刀洗の行動や思考を語ります。事件自体はこの短編集最も悲惨なもの。20歳のお母さんが留守中に3歳の子供が殺され、彼女の弟が犯人であると自供する。しかし、大刀洗は弟の自供のメモから不審を抱き、真犯人を突き止めていく。姉弟の悲惨な少年時代の生活を思い起こされ秀逸な作品でした。
最後の作品は「綱渡りの成功例」。長野県南部に台風の豪雨が襲い、2件の家が孤立して救助活動が行われる。うち1軒は存命が確認され老夫婦が無事救出されたが、もう一軒のお宅は寝室に土砂が押し寄せ生き埋めで亡くなる。生き残った夫婦は息子が食べ残していったコーンフレークで4日間食いつないでいたのだが。確かにコーンフレークをどうやって食べていなのかはだれでも気が付くこと。太刀洗女子でなくとも、簡単に気が付くことなので、ミステリーとしてはそれほどの話ではないとおもいました。
とはいうものの、6篇とも魅力的な大刀洗女史を主人公にした良質なミステリーを満喫させてもらいました。
今日はこの辺で。