是枝裕和「雲は答えなかった 高級官僚 その生と死」

水俣病関連書籍として、映画監督是枝裕和が書いた「雲は答えなかった 高級官僚 その生と死」読了。
水俣病に関しては、その発生認知(1956年)からチッソの責任が確定(1968年)するまでに12年、さらにそこから損害賠償訴訟が提起され、国の責任が最高裁で確定したのが2004年、認知から36年もの時間を要しています。この間、患者には厳しい認定基準により多くの患者が切り捨てられてきた歴史があります。そんな中、国への損害賠償の矢面に立ったのが環境庁。その環境庁水俣訴訟の担当だった企画調整局長が自殺した経緯を追ったノンフィクションが当作品。是枝氏がまだテレビ局に在籍して、ドキュメンタリーを作っていた1990年代。
局長名は山内豊徳氏。氏の生い立ちから厚生省への入省、そして環境庁水俣病訴訟の矢面に立って疲弊していく姿が描かれます。
東大法学部を出て公務員上級試験に99人中2番目で合格した秀才。本来であれば花形省庁の大蔵省や経産省に行けたはずが、福祉に取り組みたいという意志の元、厚生省に入省。厚生省で実績を作るものの、官僚レースに敗れたのか?環境庁に移籍。ここで水俣病問題に出会う。本来が福祉行政、特に生活保護などの弱者対策をライフワークにしてきた山内氏が、国の責任を追及する原告に対して、国の代弁者の矢面に立って苦悩する・・・・
結局彼は死を選ぶという結末。是枝は、この官僚の内面を探るべく、奥さんにインタビューしてこの本を書き上げます。
しかし、本人がもともと仕事のことで家で話すことがなかったので、真実はわからないまま。原因が水俣病問題にあったのか否かは不明のままです。
是枝は、これを20代の若かりし頃テレビドキュメンタリーとして制作し、のちにノンフィクションとして本にした経緯があります。
今日はこの辺で。